【現代語訳】

 月が出て雲もない空に、羽をうち交わして飛ぶ雁も列を離れないのを、羨ましくお聞きになっているのであろう。風が肌寒く、何とはないもの寂しさに心動かされて、箏の琴をたいそうかすかにお弾きになるのも深みのある音色なので、ますます心を引きつけられてしまって、かえって物足りない思いがするので、琵琶を取り寄せて、とても優しい音色で「想夫恋」をお弾きになる。
「お気持ちを察してのようなのは恐縮ですが、この曲なら、何かおっしゃって下さるかと思いまして」とおっしゃって、しきりに御簾の中に向かって催促申し上げなさるが、ましてこの曲は気が引けるお相手なので、宮はただ悲しいとばかりお思い続けていらっしゃるので、
「 ことに出でて言はぬも言ふにまさるとは人に恥ぢたるけしきをぞ見る

(言葉に出しておっしゃらないのも、おっしゃる以上に深いお気持ちなのだと、慎み

深い態度からよく分かります)」
と申し上げなさると、わずかに終わりの方を少しお弾きになる。
「 深き夜のあはればかりは聞きわけどことよりほかにえやは言ひける

(趣深い秋の夜の情趣は分かりますが、琴を弾くより他に何を言えるでしょうか)」
 もっと聞いていたいほどであるが、そのおっとりした音色によって昔の人が心をこめて弾き伝えてきた、同じ調子の曲目といっても、しみじみと心を打つ感じのほんの少しを弾いてお止めになったので、恨めしいほどに思われるが、
「物好きなところを、いろいろな琴を弾いてお目に掛けてしまいました。秋の夜に遅くまでおりますのも、故人の咎めがあろうかとご遠慮致して、おいとま致さねばなりません。また改めて失礼のないよう気をつけてお伺い致そうと思いますが、このお琴の調子を変えずにお待ち下さいませんか。とかく思いもよらぬことが起こる世の中ですから、気掛かりでなりません」などと、あらわにではないが心の内をほのめかしてお帰りになる。

 

《秋の月が昇って明るくなった空に、雁の鳴き交わしながら渡っていく姿が見えました。宮には、それが仲良く睦まじく、と見えたでしょうか、折しも吹きすぎる肌寒い風に心を収めかねて、差し出された琴に手を伸ばして、一節、二節つま弾きます。

そのもの静かな音色に夕霧も、そのまま終わっては飽きたらず、琵琶を引き寄せて、更に誘うように「想夫恋」を弾きます。

「お気持ちを察して…」とは言うのですが、それにしてもこの場の宮にあまりにもぴったりしすぎた曲で、これが生真面目で律儀な夕霧だというような選曲に思われます。

今の宮は、何を弾いても恋しさ、寂しさが表れることを思えば、ただ弾くことを求められただけでも躊躇われるのに、まして「想夫恋」では、心の中をさらけ出すような気がして、手が出ません。

しかし夕霧から更に直接に催促されるのではなく、お気持ちはよく分かりますよ、と穏やかに言われて、少し気が楽になったのでしょうか、「わずかに終わりの方を少しお弾きになる」のでした。

夕霧はもちろんもっと聞きたいのですが、今日はそれに満足することにして、そして「故人の咎めがあろうか」と柏木への配慮を示して、席を立ちます。

「心の内をほのめかし(原文・うちにほはしおきて)」て、というのは微妙な言い方ですが、友人柏木の名を出しての話ですから、ここは純粋な好意・誠意と理解して、夕霧の実直さを見たいところだと思います。

髭黒も実直でしたが、こちらには彼のような子供っぽい直情はありません。どこまでも、折り目正しい優等生です。》

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