【現代語訳】

 御息所のいざり出ていらっしゃる気配がするので、おもむろに居ずまいをお直しになる。
「嫌な世の中を悲しみに沈んで月日を重ねてきましたせいか、気分の悪いことにも妙にぼうっとしたように過ごしておりますが、このように度々重ねてのお見舞いがまことにもったいので、元気を奮い起こしまして」と言って、本当に苦しそうなご様子である。
「お嘆きになるのは無理もないことですが、またそんなに悲しんでばかりいられるのもいかがなものかと。何事も前世からの約束事でございましょう。何といっても限りのある世の中です」と、お慰め申し上げなさる。
「この宮は聞いていたよりもゆかしいところがお見えになるが、お気の毒に本当にどんなにか外聞の悪い事を加えてお嘆きになっていられることだろう」と思うと心が動くので、たいそう心をこめて、ご様子をもお尋ね申し上げなさった。
「器量などはとても十分ではいらっしゃるまいけれども、ひどくみっともなくて見ていられない程でなければ、どうして見た目が悪いといって相手を嫌いになったり、また大それたことに心を迷わすことがあってよいものか。みっともないことだ。ただ気立てだけが、結局は大切なのだ」とお考えになる。
「今はやはり故人と同様にお考え下さって、親しくお付き合い下さい」などと、特に色めいたおっしゃりようではないが、心を込めて気のある申し上げ方をなさる。直衣姿がとても鮮やかで、背丈も堂々と、すらりと高くお見えであった。
「あの殿は何事にもお優しく美しく、上品で魅力的なところがおありだったことは二人とないお方だ。こちらは、男性的で華やかで何と美しいのだろうと一目でお見えになる美しさは、誰とも違うこと」と、ささやいて、
「同じことなら、このようにしてお出入りして下さったならば」などと、女房たちは言っているようである。
 「右将軍の墓に草初めて青し」と口ずさんで、それも最近の事だったのであれこれと近頃も昔も人の心を悲しませるような無常の世の中に、身分の高い人も低い人も惜しみ残念がらない者がないのも、表立ったことはそれとして、不思議と人情の厚い方でいらっしゃったので、大したこともない役人や女房などの年取った者たちまでが恋い悲しみ申し上げた。

それ以上に、主上におかせられては、管弦の御遊などの折毎に、まっさきにお思い出しになって、お偲びあそばされた。
 「ああ、衛門督よ」という決まり文句を、何事につけても言わない人はいない。六条院におかれては、まして気の毒にとお思い出しになることが、月日の経つにつれて多くなっていく。
 この若君を、お心の中では形見と御覧になるが、誰も知らないことなので、まことに何の張り合いもない。秋頃になると、この若君は這い這いをし出したりなどして。

 

《「少将の君」だけのお相手では申し訳ないと思ったのでしょうか、御息所はあえていざって出てきました。

夕霧の言葉、「外聞の悪い事」は、独身を通すのが普通と考えられている皇女の身で結婚し、しかもその夫に先立たれたことを言うのでしょう。真面目な彼は、親身に宮を気の毒に思っている、というふうに読むのがいいでしょう。『評釈』は、この時すでに誘惑の意図ありとしているようですが。

もっとも「心を込めて気のある申し上げ方をなさる」とありますから、気がないわけではなさそうです。

「器量などはとても十人並でいらっしゃるまい」というのは、柏木があまり気に入らない様子だったことからの推測でしょう。しかし自分はそれは問題外で、「ただ、気立てだけが、結局は、大切なのだ」と思うのは、どこまでも生真面目な彼らしいところです。

「右将軍の墓に草初めて青し」は「天の善人に与する、吾信ぜず、右将軍が墓に草初めて秋なり」という詩句をもじって、季節を今に合わせたもの、善い人が天の加護を得られないままに早世し、人に忘れられていく」という意味で、柏木を悼んで呟いたものとされます。「右将軍」は実在の藤原保忠で、その死も「最近の事」(史実では「九三六年七月十四日没」・『集成』)だと言います。

保忠の死から人々が無常を言いあっていた頃で、そこに柏木の死で、世のすべての人が柏木を惜しんだのでしたが、それは「表立ったこと」(公人としての才幹、学識、技芸といった面・『集成』)はもちろんとして、「人情の厚い方」だったからだろう、ということのようです。

「と(夕霧が)口ずさんで、」の結びが見当たりません、流れてしまったのでしょう。

その一般の人々以上に「主上におかせられては」惜しんでおられます。

そして「六条院におかれては、まして」と重なり、「この若君を、お心の中では形見と御覧になる」と言いますから、源氏はもう柏木への恨みはないように見えます。そこで視点を一転して、その若宮が「這い這いをし出したりなどして」と目に見えるような様子をクローズアップしておいて、そのまま言いさして巻を閉じるあたり、映画的手法と言いますか、まったく余韻たっぷりです。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ