【現代語訳】1

 致仕の大殿にその足で参上なさったところ、弟君たちが大勢おいでになっていた。
「こちらにお入り下さい」ということだったので、大臣の御客間の方にお入りになる。悲しみを抑えてご対面なさった。いつまでも若く美しいご容貌がひどく痩せ衰えて、お髭などもお手入れなさらないのでいっぱいに生えて、子が親の喪に服するよりもずっとやつれていらっしゃる。 

お会いなさるや、とても堪え切れないので、

「あまりだらしなくこぼす涙は体裁が悪い」と思うので、無理にお隠しになる。
 大臣も、

「特別仲好くていらっしゃったのに」とお思いになると、ただ涙がこぼれにこぼれて、お止めになることができず、語り尽きせぬ悲しみを互いにお話しなさる。
 一条宮邸に参上した様子などをお話し申し上げなさる。ますます春雨かと思われるまで、軒の雫と違わないほど、いっそう涙をお流しになる。畳紙にあの「柳の芽にぞ」とあったのをお書き留めになっていたのを差し上げなさると、

「目も見えませんよ」と、涙を絞りながら御覧になる。
 涙に眉をしかめて御覧になるご様子は、いつもは気丈できっぱりして自信たっぷりのご様子もすっかり消えて、体裁が悪い。実のところ、特別良い歌ではないようだが、この「玉は貫く」とあるところが、なるほどという気がなさって心が乱れて、暫くの間涙を堪えることができない。

 

《夕霧は三条に雲居の雁と住んでいるとありました(藤の裏葉の巻第三章第三段)から、彼は一条宮邸に行き、帰りに「その足で」二条の致仕の大殿邸に立ち寄りました(この場合関係はありませんが、近くには紫の上のいる二条院もあるはずです)。

 大殿邸には、父君を支えるためなのでしょう、「弟君たちが大勢おいでになって」います。

 客間(「廂の間であろう」・『集成』)に通されて、出て来られたその父君を見ると、その悲歎は少しも収まっていないようで、無精髭のやつれた様子で、見るなり夕霧は涙がこぼれそうになるのを必死で押さえました。

 後は涙、涙の対話です。「柳の芽に」は御息所の歌です(前段)。「夕霧は車中で反芻し、畳紙に書いた」(『評釈』)のでしょう。同書は「口では言えず、畳紙を奉る」と言いますが、初めからここで渡すつもりだったとすれば、見事な準備で、気配りが利いているとも言えます。

歌の「柳の芽にぞ玉はぬく」は、柳の枝のたくさんの「芽」に露の玉がついているのが、まるで糸で貫いて連なっているように見えるが、それと同じように「目」から涙が止まらず連なってこぼれることだ、という意味のようです。大殿はその言葉に、自分もまったくそうだと、ますます心を乱すのでした。》

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