【現代語訳】

 大将も、すぐには涙をお止めになれない。
「どうしたわけか、実に申し分なく落ちついていらっしゃった方が、このようになる運命だったからでしょうか、ここ二、三年の間はひどく沈み込んで、どことなく心細げにお見えになったので、『あまりに世の無常を知り、考え深くなった人が、悟りすまし過ぎて、このような人の例として、心が素直でなくなり、かえって逆に立派だという評価が薄れるものだ』と、いつも至らない自分ながらお諌め申していたので、思慮が浅いとお思いのようでした。

何事にもまして、人以上に、お話しの通り宮のお悲しみになっているご心中が、恐れ多いことですが、まことにおいたわしゅうございます」などと、優しく情愛こまやかに申し上げなさって、やや長居してお帰りになる。
 あの方は、五、六歳くらい年上であったが、それでもとても若々しく優雅で親しみやすくていらっしゃった。この方は、実にきまじめで重々しく男らしい感じがして、お顔だけがとても若々しく美しいことは、誰にも勝っていらっしゃった。若い女房たちは、もの悲しい気持ちも少し紛れてお見送り申し上げる。
 御前に近い桜がたいそう美しく咲いているのを、「今年ばかりは(墨染めに咲け)」と、ふと思われるのも、縁起でもないことなので、「あひ見むことは(再び巡り会うことはないのだなあ)」と口ずさみなさって、
「 時しあれば変わらぬ色ににほひけり片枝枯れにし宿の桜も

(季節が廻って来たので変わらない色に咲きました、片方の枝は枯れてしまったこの桜の木にも)」 

さりげないふうに口ずさんでお立ちになると、とても素早く、
「 この春は柳の芽にぞ玉はぬく咲き散る花のゆくへ知らねば

(今年の春は柳の芽に露の玉が貫いているように泣いております、咲いて散る桜の行

く方も分かりませんので)」

と申し上げなさる。格別深い情趣があるわけではないが、当世風で、才能があると言われていらっしゃった更衣だったのである。「なるほど、そつのないお心づかいのようだ」と御覧になる。

 

《前段で御息所が語った「(柏木はこの宮に対して)願っていたようではなかったお気持ち」だと思っていたが、「遺言」は身にしみて嬉しかったという言葉を受けての、夕霧の言葉です。

彼は、柏木は「実に申し分なく落ちついていらっしゃった」結果、偉くなりすぎて、「世の無常」を見てしまい、そういう人にありがちなことだが、「心が素直でなく(心うつくしからず)」なってしまった、つまり世をはかなみ、生きる力をなくしてしまったのだ、というようなことでしょうか。実際のところ、柏木は自分の将来に望みを失ったのであって、当たらずとも遠からず、というくらいではありそうです。

「やや長居してお帰りになる」が意味深長で、夕霧の「優しく情愛こまやか」なところを表していて、思いを残して帰るというスタイルです。それもまた彼の配慮なのだろうと思われます。

女房たちの、蔭ながらの熱い視線を浴びながら、夕霧は立っていきます。

庭に美しく咲く桜が目に入った彼の胸に、思わず「今年ばかりは」という句が浮かびました。しかしそれはさっき御息所が話していた、女宮が「今にも後を追いなさるように見え」(前段)たというその出家姿を促しているように思えて、彼はひとり胸の内でちょっと動揺したのでしょう、あわててそれを打ち消すように同じ桜を詠んだ別の歌を、あえて口に出します。

歌の後の「さりげないふうに(原文・わざとならず)」は、『集成』は「特に御息所に詠みかけた体ではなく」と言いますが、それとともにそういう自分の動揺を見せないで、という意味もあるのではないでしょうか。彼が律儀な気配りの人であり、いい人であらねばならないと努めている若々しい潔癖さが感じられるような気がします。

言わば彼は自分のために歌を詠んだのであって、そういう彼には普通に返された歌でも「とても素早く」と感じられるでしょう。

夕霧は、さすがと感心し、この邸に好印象を抱いて帰っていくようです。》


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