【現代語訳】

 山の帝は、初めてのご出産が無事であったとお聞きあそばして、しみじみとお会いになりたくお思いになるが、
「このようにご病気でいらっしゃるという知らせばかりなので、どうおなりになることか」と、御勤行も乱れて御心配あそばすのであった。
 あれほどお弱りになった方が、何もお召し上がりにならないで何日もお過ごしになったので、すっかり頼りなくおなりになって、

「幾年月もお目にかからなかった時よりも、院を大変恋しくお思い申されるのだが、再びお目にかかれないで終わってしまうのだろうか」と、ひどくお泣きになる。

このように申されるご様子を、しかるべき人からお伝え申し上げさせなさったので、とても我慢できず悲しくお思いになって、あってはならないこととはお思いになりながら、夜の闇に隠れてお出ましになった。
 前もってそのようなお手紙もなくて、急にこのようにお越しになったので、主人の院は驚いて恐縮申し上げなさる。
「世俗の事を決して顧みまいと思っておりましたが、やはり煩悩を捨て切れないのは、子を思う親心の闇でしたので勤行も怠って、もしも親子の先立つ順が逆になって別れるようなことになったら、そのままこの怨みがお互いに残りはせぬかと、情けなく思われたので、世間の非難を顧みず、こうして参ったのです」と申し上げなさる。御姿は僧形でも優雅で親しみやすいお姿で、目立たないように質素な身なりをなさって、正式な法服ではなく、墨染の御法服姿は申し分なく素晴らしいのにつけても、羨ましく拝見なさる。例によって、まっさきに涙がこぼれなさる。
「患っていらっしゃるご様子は、特別どうというご病気ではありません。ただここ数ヶ月お弱りになったご様子で、きちんとお食事なども召し上がらない日が続いたせいか、このようなことでいらっしゃるのです」などと申し上げなさる。

 

《朱雀院は、せっかく思案の結果三の宮を源氏に託したというのに、めでたいはずの懐妊のことがあって以来、どうもいい話が耳に入りません(若菜下の巻第十一章第二段)。

今回、無事出産と聞いて、いくらかほっとはしたものの、その後も「ご病気でいらっしゃるという知らせばかり」で、心配が募ります。

女三の宮の方も、さまざまに思いあまって、ひたすら父上恋しさに泣いています。「幾年月もお目にかからなかった時」というのは、降嫁して以来、昨年末の五十の御賀でおいでいただいてお会いするまでのこと、御賀の具体的なことは書かれないままになりましたが、あの時に会って、改めて父を思い出し、今こういう窮地にあって、最後の拠り所として恋しく思われるのでしょう。

そういう思いでいる姫宮のことを、「しかるべき人からお伝え申し上げさせなさった」のでした。誰がそうさせたのか、と思うのですが、どうも源氏しかないようで、「暗に院の来訪を乞う意図があったかと思わせる書きぶり」(『集成』)です。

もしそうだとすると、前段の源氏の「心弱く許してしまいそうな」は、あながち好色だけではなくて、父親代わりといった保護者的視線も混じっていたのかも知れません。

そして更に勘ぐれば、院の来駕があれば、どういうことになるか、あるいはそれなりの予期もあったとも思われなくはありません。

ともあれ、院が、「夜の闇に隠れて」突然の訪問、となりました。来訪を求める意図があっても、いきなり夜、お忍びで、とは思いも寄らなかったのでしょうか、源氏は「驚いて恐縮申しあげ」てお迎えします。

源氏は、突然の訪問の弁解に合わせて謙虚で丁寧な挨拶をされる院の「墨染の御法服姿」を見ながら、「例によって、まっさきに涙がこぼれなさる」のでした。

「例によって」が、何か型どおりに、と聞こえて落ちつきませんが、こうまで慌てておいでになった院の心痛を察しての同情と、自分が期待に添えないでいる残念さと、姫宮を案ずる思いを表すものなのでしょう。

しかし一方に、実は姫宮の悩みの原因は自分にはないのにそれが言えないことのもどかしさと、そして法衣姿へのうらやましさもあるはずで、思いはこもごもです。

差しあたり源氏は、姫宮の病状を伝えますが、格別の名のある病ではなくて、ただ食事が進まないための衰弱と言います。姫宮が「再びお目にかかれないで終わってしまうのだろうか」と思っているということを伝えたにしては、いささか軽い説明のように思われますが、ここまでしか言うことができないのです。》

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