【現代語訳】2

頭中将とお会いになる時にも、むやみに胸がどきどきして、あの撫子が成長している有様を、聞かせてやりたいが、非難されるのを警戒して、お口にはお出しにならない。

あの夕顔の宿では、どこに行ってしまったのかと心配するが、そのままでお探し当て申すことができない。右近までもが音信ないので、不思議だと思い嘆き合っていた。はっきりした証拠はないが、様子からそうなのではあるまいかと、ささめき合っていたこともあるので、惟光に恨み言を言ってみたが、まるで問題にもせず、関係がないと言い張って、相変わらず同じように通って来たので、ますます夢のような気がして、「もしや、通っていたのが受領の子息の好色な者で、頭の君に恐れ申して、そのまま連れて下ってしまったのだろうか」と、想像するのだった。

 この家の主人は、西の京の乳母の娘なのであった。三人乳母子がいたが、右近は他人だったので、「分け隔てして、ご様子を知らせないのだわ」と、泣き恋うるのであった。右近は右近で、口やかましく非難されるだろうと思い、源氏の君も今になって洩らすまいとお隠しになっているので、家の者たちは幼い姫君の噂さえ聞けず、まるきり消息不明のまま過ぎて行く。

 源氏の君は、「せめて夢にでも逢いたい」と、お思い続けていると、この法事をなさった次の夜に、ぼんやりと、あの某院そのままに、枕上に現れた女が、様子も同じようにして見えたので、「荒れ果てた邸に住んでいた魔物が、わたしに取りついたことで、こんなことになってしまったのだ」と、お思い出しになるにつけても、気味の悪いことである。

 

《娘をいつか引き取りたいという気持ちでいるので、「頭中将とお会いになる時にも」うしろめたく、娘の話などしたいのですが、話し出せば、自分の目の前で女を死なせてしまったことの顛末も言わねばならず、自分としてもみっともないし、中将も恨み言を言うだろうと思うと、具合が悪いので、結局何も言わないで過ごしています。

さて、夕顔の家の者たちは、あの満月の夜以来、大事な女主人が忽然と姿を消してしまったので、たいへん心配しています。

やはり源氏の君だったのではないかと惟光に正すのですが、これがまたさすがのしたたか者で、何も知らないと言い張って、その家の女房の所に変わらず通っています。

そうなると、もはや当時としては捜索する手立てもないようで、受領の息子が国に連れて下ったのだろうかなどと、いささかのんきにも思える想像をしてみるより他ありません。次の乳母関係がちょっと面倒ですが、『評釈』が整理してくれています。

夕顔には乳母が二人いました。一人は右近の母で、これは早くなくなります(第七段【現代語訳】3節)。そしてもう一人は、頭中将との縁が切れて引きこもった西の京の乳母です(同段【現代語訳】2節)。この乳母に三人の乳母子がいて、その一人が夕顔の家の主人、つまり揚名の介の妻だったわけです。そこでは右近はよそ者ですから、自分の失態と言われかねない夕顔の顛末の話はしないというわけです。

かくして、揚名の介の家にとっては、ことはまったく謎のまま、ただ夕顔がいなくなったことが変わっただけで、全ては日常に埋もれて日が過ぎていきます。

一方源氏は、四十九日の法要の翌夜、夕顔を夢に見たいと思っている彼の思いに反して、あの女の姿が枕上に浮かびます。

この女が誰であったのか、古来議論のあるところで、あの某院に棲む魔物説と六条御息所説がありますが、ここに「荒れ果てた邸に住んでいた魔物が、わたしに取りついたことで」ありますから、少なくとも源氏は御息所のことは考えていないわけです。この部分に『集成』は「自分(源氏)の美しさに目を付けたまきぞえで」と傍訳を付けていて、源氏らしい考え方だという気がします。

ともあれ、全てが日常に復して過ぎていく中で、なにがしの院の魔性は、まだ源氏の周りを彷徨っていたのでした。》

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