【現代語訳】

 二条の尚侍の君をやはりいつもお思い出し申し上げておられるが、このように気がかりな方面の事を厭わしくお思いになって、あの方のお心弱さも、少し見下す思いにおなりになるのだった。
 とうとうご出家の本懐を遂げられたとお聞きになってからは、まことにしみじみと残念に、お心が騒いで、さっそくお見舞いを申し上げなさる。せめて今出家するとだけでも知らせて下さらなかった冷たさを、心からお恨み申し上げなさる。
「 あまの世をよそに聞かめや須磨の裏に藻塩垂れしも誰ならなくに

(出家されたことを他人事して聞き流していられましょうか、私が須磨の浦で涙に沈

んでいたのは誰ならぬあなたのせいなのですから)
 いろいろな人生の無常さを心の内に思いながら、今まで出家せずに先を越されて残念ですが、お見捨てになったとしても、お勤めのご回向の中には、まず第一に私を入れて下さるであろうと、しみじみした思いでいます」などと、たくさんお書き申し上げなさった。
 早くからご決意なさった事であるが、この方のご反対に引っ張られて、誰にもそのようにはお表しなさらなかった事だが、心中ではしみじみと昔からの恨めしいご縁を、何と言っても浅くはお思いになれない事など、あれやこれやとお思い出しなる。
 お返事は、今となってはもうこのようなお手紙のやりとりをしてはならない最後とお思いになると、感慨無量となって、念入りにお書きになる、その墨の具合などは、実に趣がある。
「無常の世とはわが身一つだけと思っておりましたが、先を越されてしまったとの仰せを思いますと、おっしゃるとおり、
  あま船にいかがは思ひおくれけむ明石の浦にいさりせし君

(尼になった私にどうして遅れをおとりになったのでしょう、明石の浦に海人のよう

なお暮らしをなさっていたあなたが)
 回向は、一切衆生の為のものですから、どうして含まれないことがありましょうか」とある。濃い青鈍色の紙で、樒に挟んでいらっしゃるのは、通例のことであるが、ひどく洒落た筆跡は、今も変わらず見事である。

 

《それかあらぬか、突然、朧月夜の尚侍の話になりました。

もっとも、『評釈』が「尚侍は定員二名であるから、呼び分ける必要がある。朧月夜と玉鬘である」と言いますから、その繋がりとも思われます。

朧月夜の登場は、朱雀院の出家に伴い二条宮に下がった折に源氏が訪ねていった時(若菜上の巻第七章)以来で、七年ぶりです。

初めの「気がかりな」は原文「うしろめたき」で『辞典』によれば「自分の認識や力の及ばない所で事態がどうなって行くか分からないという不安を表す」とあって、ここでは「夫を裏切るような女の過失」(『集成』)を指すことになりますが、彼女について、それを「厭わしくお思いにな」るとは、自分から手出しておきながら、どうも驚いたずうずうしさです。

その彼女はあの時朱雀院の出家を追おうとしたのでしたが、源氏に止められてそのままになっていたのですが、この頃の紫の上に付きっきりという源氏の噂を聞いて「自分と紫の差の大きさに気づき」(『評釈』)、とうとう出家に踏み切ったようです。

源氏は、「少し見下す思い」でいながら、その人が出家したと聞くと、「まことにしみじみと残念に、お心が騒」ぐというのですから、どうにも付いていけない気がします。

 例によって源氏は、先に出家して行かれて自分が見捨てて後に残されたという態度で恨みがましい(ふうをした)歌を送りますが、朧月夜からの返事は、「昔、明石の浦であなたは先に『海士(尼)』のような暮らしをなさったのに、変ですね、回向は一切衆生のものですから、あなたを特別ということはありませんが、入ってはいますよ」と、まるで揶揄のようななかなか手厳しいものでした。

 『評釈』は「恋と栄花の物語において、この恋ばかりは栄花に関係なく、恋の甘さだけの物語であった」と言いますが、「甘さ」はまた、当然ながら、ほろ苦さでもあったと言うべきでしょう。

もっともここでの朧月夜の登場は、次の段の、女三の宮を意識しながらの源氏の(つまり作者の)女性論を弾き出す意味の方が大きかったのではないか、とも思われます。》

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