【現代語訳】1

 あの人の四十九日忌を、人目を忍んで比叡山の法華堂において、略さずに、装束をはじめとしてお布施に必要な物どもを心をこめて準備し、読経などをおさせになった。経巻や、仏像の装飾までおろそかにせず、惟光の兄の阿闍梨が、大変に高徳の僧なので、またとないほどに催したのであった。

 ご学問の師で、親しくしておられる文章博士を呼んで、願文を作らせなさる。誰それと言わないで、愛しいと思っていた女性が亡くなってしまったのを、阿弥陀様にお任せ申す旨を、しみじみとお書き表しになったので、

「まったくこのまま、何も書き加えることはないようです」と申し上げる。

 我慢しようとなさっても、お涙もこぼれて、ひどくお悲しみでいるので、

「どういう方なのでだろう。誰それと噂にも上らないで、これほどにお嘆かせになるほどだったとは、宿運の高いことだ」と言うのであった。

内々にお作らせになっていた布施の装束の袴をお取り寄せになって、

「 泣く泣くも今日は我が結ふ下紐をいづれの世にかとけてみるべき

(泣きながら今日はわたしが結ぶ袴の下紐を、いつの世にかまた再会して心打ち解けて下紐を解いて逢うことができようか)

今日までは魂が中有に彷徨っているというが、どの道に定まって行くことのだろうか」

とお思いやりになりながら、念誦を心こめてなさる

 

《公式の場での源氏の姿が描かれます。まず盛大な法要の主宰者として見事は計らいをし、高徳の僧を呼ぶことができる人脈があり、学問の高位の師を持ち、みずからその文章博士の添削が必要のないほどの願文を書く知力を持っていることが示されます。

文章博士は、これほどの人が、あの夕顔に執心だったのだと、不思議に思いながらその人に思いを致すのですが、それに合わせて、いきさつを知っている読者は改めてまったくそうだと、二人のここまでの成り行きを改めて思い返すのです。

そして、源氏もまた夕顔の魂を遠い世界に見送りながら、「あの撫子」、常夏の女(今はそれが夕顔であることが明らかになったのでした)が歌でそう呼んだ頭中将との間の娘を、早く引き取りたいものだと、気に掛かります。》

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