【現代語訳】

 まだ朝の涼しいうちにお帰りになろうとして、早くお起きになる。
「昨夜の扇を落として。これでは風がなま温いな」と言って、御檜扇はお置きになって、昨日うたた寝なさった御座所の辺りを立ち止まってお探しになると、御褥の少し乱れている端から、浅緑の薄様の手紙で、押し巻いてある端が見えるのを、何気なく引き出して御覧になると、男の筆跡である。紙の香りなどはとても優雅で、気取った書きぶりである。二枚にこまごまと書いてあるのを御覧になると、

「紛れようもなく、あの人の筆跡だ」と御覧になった。
 お鏡の蓋を開けて差し上げる女房は、殿が御覧になるべき手紙なのであろうと事情に気づかないが、小侍従が見つけて、昨日の手紙と同じ色と見ると、大変なことだと胸がどきどき鳴る心地がする。お粥などを召し上がる方には見向きもせず、
「いいえ、いくら何でもそれはあるまい。本当に大変で、そのようなことがあろうはずはない。きっとお隠しになったことだろう」としいて思うようにする。
 宮は、無心にまだお寝みになっていらっしゃる。
「何と幼いことか。このような物をお散らかしになって、自分以外の人が見つけたら」 とお思いになるにつけても、見下される思いがして、
「やはりそうだ。本当になにかとたしなみのないご様子を、不安であると思っていたのだ」とお思いになる。

 

《「扇」は原文では「かはほり」で夏扇のこと、「檜扇」は、「公家貴族が笏に代えて用い、また、顔を隠し、合図に鳴らし、契りの証拠に交換した」(『辞典』)というもので、風を送るには適さないようです。源氏は、朝早く二条院に帰ろうとしてそれが見えないことに気付き、捜しに昨日の昼の御座所に行きました。

すると、褥の端に「浅緑の薄様の手紙」が覗いています。姫宮が「御褥の下にさし挟みなさった」(第三段)、柏木からのあの手紙に相違ありません。

何気なく手に取ってみた源氏は、筆蹟を見て一目で彼の筆蹟と気がつきます。かつて彼が玉鬘に送った文を見て「筆跡はとても見事で、…書き方も当世風でしゃれて」いると感心したことがありました(胡蝶の巻第二章第二段)が、今度のも、洒落た手紙です。

源氏がそれを開いて見ているところを小侍従が見つけて、その上の色からもしやとドキリとしますが、いくら何でもそんな恐ろしいことがあるはずはないと、懸命に自分でそれを打ち消そうとします。すぐに姫宮に、あの手紙はどうされたかと訊きたいところですが、まだ、自分の昨日の洒落たつもりの振る舞いがどんな事件を招いているか何もご存じないままに無邪気に寝ておられます。

源氏は、手紙を読んだのですが、意外に落ちついています。こんな所にこんなものを落としておいて、もし「自分以外の人が見つけたら」、どんなみっともないことになったかも知れないのに、どうもまだ一人前ではないようだと、せっかくいじらしいと思っていた評価を、また引き下げる気持です。

夏扇の方はどうなったのだろうと、気になりますが、そういう些末のリアリズムは忘れるべきで、源氏も、余裕のあるらしい反応を示しながら、そのことを忘れてしまうくらいには、手紙への関心を持ったのだとでも思っておけばいいでしょう。

途中、「お鏡の蓋を開けて差し上げる(源氏の朝の身支度に奉仕する・『集成』)女房は、…事情に気づかないが」という一節は、なくても構わないようですが、これがあることによって、対照的に小侍従の内心の狼狽が鮮明に印象づけられていますし、絵画的にもおもしろい場面になっていると思います。》

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