【現代語訳】

 夜になってから二条院にお帰りになろうとして、お暇する話をなさる。
「あなたはお具合も悪くはないようにお見えですので、まだとても頼りなさそうなのを放って置くように思われますのも、こんな時お気の毒なので。変なふうに申す者があっても、決してお気になさいますな。やがてきっとお分かりになりましょう」とお慰めになる。

いつもは子供っぽい冗談事などを気楽に申し上げなさるのだが、ひどく沈み込んで、ちゃんと目をお合わせ申すこともなさらないのを、ただ側にいないのを恨んでいらっしゃるのだとお思いになる。
 昼の御座所に横におなりになってお話申し上げなどするうちに、日暮れになったしまった。少しお眠りになってしまったが、ひぐらしが派手に鳴いたのに目をお覚ましになって、
「それでは、『道たどたどし(月が出てから、など)』とならないうちに」と言って、お召し物などをお替えになる。
「『月待ちて』とも言うそうですのに」と、若々しい様子でおっしゃるのはとてもいじらしい。

「『その間にも(それまで一緒に)』とでも、お思いなのだろうか」と、いじらしくお思いになって、お立ち止まりになる。
「 夕露に袖ぬらせとやひぐらしの鳴くを聞く聞く起きてゆくらむ

(夕露に袖を濡らせといって、ひぐらしが鳴くのを聞きながら起きて行かれるのでし

ょうか)」
 子供のようなあどけないままにおっしゃったのもかわいらしいので、膝をついて、
「ああ、困りましたね」と、溜息をおつきになる。
「 待つ里もいかが聞くらむかたがたに心さわがすひぐらしの声

(私を待っている所でもどのように聞いているでしょうか、それぞれに心を騒がすひ

ぐらしの声ですね)」
などとご躊躇なさって、やはり無情に帰るのもお気の毒なので、お泊まりになった。心は落ち着かず、そうは言っても物思いにお耽りになって、果物類だけを召し上がりなどなさって、お寝みになった。

 

《源氏は、「年輩の女房」の話を、結局、何かの間違いだろうくらいにしか思わず、そうとなれば、こちらの方は特に具合が悪いということもなさそうだし、二条院の方が気になるので、夜になったら帰ろうと、昼下がりの頃でしょうか、姫宮に話しかけます。

 お付きの女房たちは懐妊だと思っているようだから、自分がこうして帰っていけば、きっと何かまた余計なことを言うに違いないと源氏は考えて、「決してお気になさいますな」と、あらかじめ釘を刺しておきます。

 姫宮が普段こういうときに「子供っぽい冗談事など」を言うというのは、ちょっと意外ですが、琴を教わったころからそういう間柄になったのでしょうか。

 しかし、この頃少し様子が違っています。半月ほどになるでしょうか、前に来たとき(前章第七段)と同じように、「ちゃんと目をお合わせ申すこともなさらない」ので、やはり、三月以来二ヶ月ほど紫の上の方に付きっきりでいたことを恨めしく思っているのかと、腰を据えてまたなだめすかして睦言をしている間に、うとうとしてしまって夕暮れになりました。

 では帰ろうと立ち上がって、着物を替えます。以下のやり取りは古歌「夕闇は道たどたどし月待ちて帰れわがせこその間にも見む」(「原歌『万葉集巻四』(七〇九)」『集成』)を踏まえたものとされます。

歌と言葉の掛けあいも洒落ていておもしろく、珍しく姫宮の魅力的な、いい場面なのですが、実は、そんな歌など詠み掛けないでそのまま源氏に帰っていただけば、取りあえずは何ごとも起こらなかったのです。

姫宮の、本心からではなく、気を聞かせただけのつもりの返事が、前段の柏木の手紙に続いてまたしても言わずもがなのことで、その言葉をいとおしく思ってしまった源氏が、彼もまた本意でないらしいにもかかわらず、もう一夜ここに泊まることになってしまいます。》

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