【現代語訳】

 この若君たちが、とてもかわいらしく笛を吹き立てて、一生懸命になっているのを、おかわいがりになって、
「眠たくなっているだろうに。今夜の音楽の遊びは長くはしないで、ほんの少しのところでと思っていたが。やめるのには惜しい楽の音色が、甲乙をつけがたいのを、聞き分けるほどに耳がよくないので愚図愚図しているうちに、たいそう夜が更けてしまった。気のつかないことであった」と言って、笙の笛を吹く君に杯をお差しになって、お召物を脱いでお与えになる。横笛の君には、こちらから、織物の細長に袴などの仰々しくないふうに形ばかりにして、大将の君には宮の御方から杯を差し出して、宮のご装束を一領をお与え申し上げなさるのを、大殿は、
「妙なことだね。師匠の私にこそ、さっそくご褒美を下さってよいものなのに。情ないことだ」とおっしゃるので、宮のおいであそばす御几帳の側から、御笛を差し上げる。微笑みなさってお取りになる。たいそう見事な高麗笛である。少し吹き鳴らしなさると、皆お帰りになるところであったが、大将が立ち止まりなさって、ご子息の持っておいでの笛を取って、たいそう素晴らしく吹き鳴らしなさったのが実に見事に聞こえたので、どなたも、皆ご奏法を直接受け継がれたお手並みがみな実にまたなくすばらしくて、ご自分の音楽の才能がめったにないほどだという気がなさるのであった。

 大将殿は、若君たちをお車に乗せて、月の澄んだ中をご退出なさる。道中、箏の琴が普通とは違ってたいそう素晴らしかった音色が、耳について恋しくお思い出されなさる。
 ご自分の北の方は、亡き大宮がお教え申し上げなさったが、熱心にお習いなさらないうちに、お引き離されておしまいになったので、ゆっくりとも習得なさらず、夫君の前では、恥ずかしがって全然お弾きにならず、何ごともただあっさりと、おっとりとした物腰で、子供の世話を休む暇もなく次々となさるので、風情もなくお思いになる。そうはいっても怒りっぽくて、嫉妬するところは愛嬌があってかわいらしい人柄でいらっしゃるようである。

 

《源氏の孫たちの話です。女御の三の宮(二の宮?)については、すでに語られました。笙の笛の髭黒の三男には源氏からお召し物を、横笛の夕霧の長男には「こちらから(原文・こなたより)」「細長」(貴婦人の表着・『集成』)に袴を添えてご褒美が贈られました。「こなた」とは紫の上ということになっているようです。

夕霧には女三の宮から贈られたのでしたが、源氏が「私にはないのか」とさっそく戯れます。すると女三の宮が見事な高麗笛を贈りました。

禄を頂いた者はそれぞれ次々に帰るということのようで、源氏が頂いた笛をちょっと吹くと、帰りかけていた大将が立ち止まって息子の横笛をとって、「実に見事に」父に合わせました。

琴についてはずいぶん語られてきましたが、夕霧も源氏の笛を見事に受け継いでいたのです。源氏は改めて「ご自分の音楽の才能がめったにないほどだという」ことに満足するのでした。

さて、これで終わっても何も不自然なことはありませんが、この作者は時々場面転換の時に思いがけない人物を登場させます。私は以前、作者を複眼的だと言ったことがありましたが、ここでも普通には思いつかない、夕霧に、彼の正室・雲居の雁を思い出させます。紫の上の素晴らしさを思ったことの続きですから、不自然ではありませんが、読者からは意外感があります。

しかも彼女についての新情報で、彼女はどうやら風雅からは遠く、大変現実的主婦的な女性のようで、子育てに奔走し、夫の女性関係にうるさく焼き餅焼きで、しかもその点を夕霧は不快に思うではなく、「愛嬌があってかわいらしい(原文・愛敬づきて、うつくしき)」と思っている、というわけで、この家庭もどこやら庶民的ながら、いい関係のようです。

源氏一族は、その端々までとりあえずは満ち足りているようです。

しかし私たちは、紫の上が、こうして何気ないふうに女三の宮と同席しながら、一方で今が引き際と考えて出家を源氏に願い出(第二章第二段)、その後もそのことを思いながら重ねては言い出しにくい気持でいた(第三章第一段)ことを忘れることはできません。

それはあたかも、昔、源氏が艶やかに紅葉の賀の舞を披露している背後に、彼の子を身ごもった藤壺の女御の怖れと苦悩があった(紅葉賀の巻)、あの構図によく似ています。あの話はさいわい二人だけの秘密として露見することのないままに、かえって源氏の栄華に向かっていったのでしたが、…。

投じられた小石の作った波紋(第三章第二段)は、実は決してあのまま消えたわけではなかったのです。》

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