【現代語訳】

 正月の二十日のころになると、空模様もうららかで風が温かく吹いて、御前の梅の花も盛りになって行く。他の多くの花の木もみな蕾がふくらんで、一面に霞んでいた。
「来月になったら、ご準備が近づいて何かと落ち着かないだろうし、合奏なさる琴の音も試楽のように人が噂するだろうから、今の静かなころに合奏なさってごらんなさい」とおっしゃって、寝殿にお迎え申し上げなさる。
 お供に、我も我もと合奏を聞きたく参上したがるが、音楽の方面に疎い者は、残させなさって、少し年は取っていても、心得のある者だけを選んで伺候させなさる。

女童は、器量の良い四人、赤色の表着に桜襲の汗衫、薄紫色の織紋様の袙、浮紋の上の袴に、紅の打ってある衣装で、容姿、態度などのすぐれている者たちだけをお召しになっている。

女御の御方にも、お部屋の飾り付けなど、常より一層に改めたころの明るさなので、それぞれ競争し合って、華美を尽くしている衣装は、鮮やかなこと、またとない。
 童女は、青色の表着に蘇芳の汗衫、唐綾の表袴、袙は山吹色の唐の綺を、お揃いで着ていた。

明石の御方のは、仰々しくならず、紅梅襲が二人、桜襲が二人、いずれも青磁色ばかりで、袙は濃紫や薄紫、打目の模様が何とも言えず素晴らしいのを着せていらっしゃる。
 宮の御方でも、このようにお集まりになるとお聞きになって、女童の容姿だけは特別に整えさせていらっしゃった。青丹の表着に柳襲の汗衫、葡萄染の袙など、格別趣向を凝らして目新しい様子ではないが、全体の雰囲気が、立派で気品があることまでが、まことに並ぶものがない。

廂の中の御障子を取り外して、あちらとこちらと御几帳だけを境にして、中の間には、院がお座りになるための御座所を設けてあった。

 

《そうこうしている間に年もかわり、二十日ほどになります。朱雀院のお祝いも、あと二十日ほどに迫っています。

その頃、源氏は思い立った「女楽」を催すことにしました。もともとが紫の上が聞きたいと言ったことからのもので、あまり本番の祝いの日に近くなると、上自身も、また周囲も準備にいそがしく、それに人々が、すわ、試楽かと騒ぐだろう、今のうちに、というわけで、その日、上を「寝殿にお迎え申し上げなさる」のでした。

上が、選りすぐりのお供と共に寝殿に入ると、その東面は、里下がりしている明石の女御の部屋です。「(正月なので)常より一層に改めたころの明るさ」の中で、女御と共に、「鮮やかなこと、またとない」衣裳の女房たちが待ち受け、明石の御方も、例によって控えめに、しかし落ちついた様子で品よく控えています。

西面が姫宮の居所、こちらは女童の衣裳だけは「特別」ですが、その他は「目新しい様子ではない」のですが、それでも、さすがは生まれの好さでしょうか、「全体の雰囲気が、立派で気品がある」佇まいです。

ここでは、本人の様子は語られなくて、四人の夫人がお側に連れている童女のことばかりが大きく取り上げられているのが気になりますが、ご本人は言うに及ばないといったところでしょうか。

さて、演奏の場所は、寝殿の南廂の間に設けられます。中の襖障子を取り払って、東西に長い部屋ができ、そこに四人のいずれ劣らぬ美しい今日の楽人が、それぞれ「御几帳だけを境にして」揃いました。そしてその中央が源氏の御座所とされます。》

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