【現代語訳】1
姫宮は、もともと琴の御琴をお習いであったが、とても小さい時に父院にお別れ申されたので、気がかりにお思いになって、
「お越しになる機会に、あの御琴の音をぜひ聞きたいものだ。いくら何でも琴だけは物になさったことだろう」と陰でお噂なさったのを、帝におかれてもお耳にあそばして、
「仰せの通り何と言っても格別のことでしょう。院の御前で、精一杯にお弾きになる機会に、参上して聞きたいものだ」などと仰せになったのを、大殿の君は伝え聞きなさって、
「今までに適当な機会があるたびにお教え申したことはあるけれでも、その腕前は確かに上達なさっているものの、まだお聞かせできるような深みのある技術には達していないのに、そんなつもりもなくて参上した折りに、お聞きあそばしたいとたってお望みあそばしたら、とてもきっときまり悪い思いをすることになりはせぬか」と、気の毒にお思いになって、ここのところご熱心にお教え申し上げなさる。
珍しい曲目二つ三つ、面白い大曲類で、四季につれて変化する響き、空気の寒さ温かさをその音色によって調え出して、高度な技術のいる曲目ばかりを、特別にお教え申し上げなさると、気がかりなようでいらっしゃるが、だんだんと習得なさるにつれて、大変上手におなりになる。
「昼間はたいそう人の出入りが多く、やはり絃を一度揺すって音をうねらせる間も気ぜわしいので、夜な夜なに、静かに奏法の勘所をじっくりとお教え申し上げよう」と言って、対の上にもそのころはお暇申されて、朝から晩までお教え申し上げなさる。
《院の御前で舞楽を、という話が、今度はさらに女三の宮の琴の御琴を、という話になります。宮は子供の頃に習っていて、さらに琴の名手である源氏(かつて弟・兵部卿宮は父・桐壺帝の「(源氏は)詩文の才能は言うまでもなく、それ以外のことの中では、琴の琴をお弾きになることが第一番で」という評価を聞いていました・絵合の巻第四章第一段)の所に嫁いだのだから、「いくら何でも琴だけは物になさったことだろう」「仰せの通り何と言っても格別のことでしょう」と期待されることになりました。 ところが実際はそれほど熱心に指導したわけではなく、上達も遅かったようで、「まだお聞かせできるような深みのある技術には達していない」とあって、源氏の方がプレッシャーを感じます。 琴の琴は「柱(じ)が無く、左手でおさえ右手で弾く。奏法が複雑で弾き難かった」(『辞典』)と言い、また「一条朝の頃には、琴の演奏がほとんど杜絶えていたという史実がある」(『集成』)と言います。 源氏は大慌てで(とは書かれていませんが)、姫宮に「高度な技術のいる曲目ばかりを、特別にお教え申し上げになる」ことにしました。そうやって教えてみると、案外に「だんだんと習得なさるにつれて、大変上手におなりにな」ります。そうなると、源氏も面白くなって(とも書いてはありませんが)、しかもはっきりした目標もあることとあってでしょう、本気になってきて、とうとう「朝から晩までお教え申し上げなさる」という仕儀となってきました。 この間までは、紫の上とこの姫宮とは「同等」(第一段)だったものが、すっかり姫宮の方に入り浸りということになったわけです。 こうして、ぽんと投げ込まれた小石はその波紋を、自己増殖的に次々にことを引き起こす形で拡がっていって、止まりそうにない勢いです。 源氏が、自らの意志によってでありながら、何ものかに導かれるように、それと気づかないまま行く先の決まった一本道を歩み始めているように見えます。》