【現代語訳】

 朱雀院が、
「今はすっかり死期が近づいた心地がして、何やら心細いが、決してこの世のことは気に懸けまいと思い捨てたけれども、もう一度だけお会いしたく思うが、もし未練でも残ったら困るので、大げさにではなくお越しになるように」と、お便り申し上げなさったので、大殿も、
「なるほど、仰せの通りだ。このような御内意が仮になくてさえ、こちらから進んで参上なさるべきことなのに、まして、このようにお待ちになっていらっしゃるとは、おいたわしいことだ」と、ご訪問なさるべきことをご準備なさる。
「何のきっかけもなく、取り立てた趣向もなくては、どうして簡単にお出かけになれようか。どのようなことをして、御覧に入れたらよかろうか」と、ご思案なさる。
「今度ちょうどにお達しになる年に、若菜などを調進してお祝い申し上げようか」と、お考えになって、いろいろな御法服のこと、精進料理のご準備、何やかやと、勝手が違うことなので、ご夫人方のお智恵も取り入れてお考えになる。
 御出家以前にも、音楽の方面には御関心がおありでいらっしゃったので、舞人、楽人などを、特別に選考し、勝れた人たちだけをお揃えになる。右の大殿のお子たち二人、大将のお子は、典侍腹の子を加えて三人、まだ小さい七歳以上の子は、皆童殿上させなさる。兵部卿宮の童孫王、すべてしかるべき宮家のお子たちや、良家のお子たち、皆お選び出しになる。
 殿上の公達も、器量が良く、同じ舞姿と言ってもまた格別な人を選んで、多くの舞の準備をおさせになる。大層なこの度の催しとあって、誰も皆懸命に練習に励んでいらっしゃる。その道々の師匠、名人が大忙しのこのごろである。

 

《朱雀院は、自分ではお気づきにならないままに六条院の平穏だった水面に女三の宮という小石を一つ投げこまれたのでしたが、ここでまた、これも何の気なしに、ちょっとしたご自身の願いという形で遠慮がちに、二つ目の小石を投げ込まれたことになります。

源氏よりも三歳年上の院は来年ちょうど五十歳、源氏の明石流謫のころからでしょうか、お体が弱られて、そのせいもあっての出家でもありましたが、どうやらますますよろしくないようで、気がかりな女三の宮に「もう一度だけお会いしたく思う」と手紙をお出しになりました。これがその二つ目の小石となるわけです。

初めの小石は紫の上の心を揺さぶるという、ともかくも一重の波紋だけで、あとは平穏の中に吸い込まれて消えていきました。が、この二つ目の小石はそうではありません。

院の意向を知った源氏は、姫宮をただ参内させるのでは芸がない、何かいい趣向をこらそうと考えて、院の五十の賀に若菜を献じてお祝いするという形を思いつきます。これが最初の波紋です。もし彼が、趣向を考えずに姫宮をそのまま参内させたのだったら、悲劇は起こらなかったか、すくなくとももう少し先になったでしょうが。

源氏は「アイデア・マン」(『評釈』)で、ただ若菜を献じるのでは、まだ物足りない気がして、ご出家の賀ですから「何やかやと、勝手が違うことなので」派手なお祝いはできませんが、音楽なら仏もお認めになっていることで、音楽好きの院のために、大々的な舞楽をショウとして御覧にいれることにして、一族の孫たちを総動員して準備に掛かります。これが二つ目の大きな波紋となります。》

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