【現代語訳】

 住吉の神に懸けた御願をそろそろ果たそうとなさって、東宮の女御の御祈願に参詣なさろうと、あの箱を開けて御覧になると、いろいろ大層なことがたくさんに書いてある。
 毎年の春秋の神楽に加えて、決まって子孫の永遠の繁栄を祈願したたくさんの願文は、まったくこのようなご威勢でなければお礼を果たすことがおできになることとも考えていないようなのであった。無造作に筆を走らせた文面は、学識が見えしっかりしていて、仏神もお聞き入れになるはずの文意が明瞭である。
「どうしてあのような山住みの世俗を離れた心で、このような事柄を思いついたのだろう」と、感服し分を過ぎたことだと御覧になる。

「前世の因縁で、ほんの少しの間、仮に身を変えた前世の修行者であったのだろうか」などとお考えめぐらすと、ますます軽くはお考えになられないのだった。
 今回は、この趣旨は表にお立てにならず、ただ院の物詣でとしてご出立なさる。浦から浦への苦労があった当時の数多くの御願は、すっかりお果たしなさったが、その後もこの世にこうお栄えになっていらっしゃって、このようないろいろな栄華を御覧になるにつけても、神の御加護は忘れ難く、対の上もお連れ申し上げなさってご参詣あそばす、その評判は、大変なものである。たいそう簡略にして、世間に迷惑があってはならないようにと省略なさるが、しきたりがあることゆえ、またとない立派さであった。

 

《帝のご即位に関わる一連のことがひときり付いて周辺が落ちついたので、源氏は住吉の神に、この度の数々の冥加について「とりあえずお礼参りをなさろうと」(『集成』)参詣を思い立ちました。願は、源氏の立てたものと入道が立てたものの両方があって(若菜上の巻第十二章第六段)、「あの箱」(入道の願文が入った箱)を明けてみると、以前語られたような大変な願いと、それに見合う大変なお礼参りのことが、たくさんに書かれていました。

「毎年の春秋の神楽…」は、分かりにくい文ですが、神楽は御方の幸いを願って奉納されたもの、それにはその度に願文があり、さらにいつもそれだけではなく「子孫の永遠の繁栄を祈願したたくさんの願文」も添えられてあったのですが、それらはあまりに大きな願であり、また数も多いので、そのお礼となると、今の源氏レベルの権勢でなければ不可能なほどであって、当時の入道は、源氏にはそれが可能な地位にまでなって貰わなければならないと考えていたらしい、ということのようです。

その願文は、女御への手紙についても語られた(若菜上の巻第十一章第一段2節)のと同様に、「なかなかの名文」だったようで、源氏もすっかり感心して、「仮に身を変えた前世の修行者」だったのではないかと思うほどだったのでした。

といって、「帝も后も頂戴する」という「入道の常識離れした」願(『評釈』)を表にはできませんし、何と言っても明石の女御腹の御子は東宮になっただけですから、「今回は、この趣旨は表にお立てにならず」、源氏のただの「物詣で」という格好でのお出かけです。

住吉詣では、以前、明石から帰った挙げ句にも、偶然行き会った、当時の明石の姫君が身をすくめるほどの賑々しさで出かけたのでした(澪標の巻第四章第二段)が、今回は紫の上をともなってのものとあって、質素にしたいという源氏の希望にもかかわらず、もう一段と華麗なものになりました。》

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