【現代語訳】
 趣のある庭の木立がたいそう霞に包まれたところに、色とりどりに蕾のほころびているたくさんの花の木やわずかに芽のふいた木の蔭で、このように何でもない遊びだが、上手下手の違いがあるのを競い合っては、自分も負けまいと思っている面々の中で、衛門督がほんのお付き合いの顔で参加なさった脚さばきに並ぶ人はいなかった。お顔もたいそう美しく優雅な物腰の人が、気配りを十分して、それでいてくだけた様子であるのは魅力的である。
 御階の柱間に面した桜の木蔭に寄っていって、人々が花のことも忘れて熱中しているのを、大殿も兵部卿宮も隅の高欄に出て御覧になる。

 たいそう手慣れた技の数々が見られて、回が重なるにつれて、身分の高い人も無礼講となって、冠の額際が少し弛んで来る。

大将の君も、ご身分の高さを考えればいつにない羽目の外しようだと思われるが、見た目には、人より一段と若く美しくて、桜の直衣の少し柔らかくなっているのを召して、指貫の裾の方が少し膨らんでいるのを、心もち引き上げていらっしゃった。軽々しくは見えず、感じよく寛いだ姿に、花びらが雪のように降りかかるので、ちょっと見上げて、撓んだ枝を少し折って、御階の中段辺りにお座りになった。

督の君も続いて、
「花がしきりに散るようですね。『桜は避きて(桜は避けて散らさないでほしいものだ)』ですよ」などとおっしゃりながら、宮の御前の方を横目に見やると、いつものようにしまりのない様子で、色とりどりの袖口がこぼれ出ている御簾の端々や透影などが、春に供える幣袋かと思われて見える。

御几帳類を無造作に方寄せてあって、端近に女房たちが世間ずれしているように見えるところに、唐猫でとても小さくてかわいらしいのを、ちょっと大きな猫が追いかけて、急に御簾の端から走り出すと、女房たちは恐がって騷ぎ立て、ざわざわと身じろぎし、動き回る様子や衣ずれの音がやかましいほどに思われる。

《「前段で「場所柄により人柄による」と言ったので、話はそちらに向かいます。

場所は申し分のない六条院の庭、うららかな晩春の芽吹いた木々の下、興じるのは貴公子たち、東面の高欄には源氏たちが、ギャラリーよろしく並んで眺めています。

元来、「けまりをするのは若者で、それも官位の低い者」(『評釈』)なのだそうですが、若者たちの間では、一度始まると官位関係なく飛び入りが現れるのはありそうなことで、それも源氏に「どうして飛び出して行かないのか」(前段)とけしかけられれば、なお一層で、それによっていっそう遊びは盛りあがります。

蹴鞠の服装は狩衣が通常のようですが、ここで夕霧は貴族の平常服とされる「直衣」とありますから、例えば、ポロシャツ姿でバスケットボール(前段を参照下さい)に興じる若者たちの中に、スーツとは言わないまでも、ワイシャツにネクタイで混じっているということでしょうか、いかにも飛び入りの感じです。柏木もきっと同じ姿なのでしょう。

夕霧と並んで高貴な柏木がこういう下賤な(?)遊びに堪能だというのは意外とも思われますが、天性の運動神経のよさでしょうか。

夕霧が一休みと、一汗かいた格好で衣服もほどよく乱れ、若々しい顔が一層紅潮して、桜の小枝を手に、という姿の好さで、階段に腰を下ろしました。

そこに柏木も寄ってきます。

階段は寝殿の正面中央、さりげない会話を交わしながら、実は二人の関心は、御簾の蔭からこちらの賑やかな遊びを眺めているに違いない女三の宮のいるこの寝殿の西面に向いています。

その宮の女房は「しっかりした年輩の者たちは少な」い(第一段)ので、「御几帳類を無造作に片寄せてあって」、どうやら部屋の中がちらちら見えそうな案配、そこに子猫とそれを追いかけてじゃれているもう一匹の猫が部屋から飛び出してきました、と、話は蹴鞠とは別の方に進んでいきます。

次の若菜下の巻では宮中の猫の話が出てきます(第一章第二段)が、そこで『集成』が「宮廷、貴顕の家での猫の愛玩は当時の流行であった」と注しています。》

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