【現代語訳】
 衛門督の君も、朱雀院に常に参上し、常日頃親しく伺候していらっしゃった方なので、この宮を父帝が大切になさっていらっしゃったご意向など詳細に拝見していて、いろいろなご縁談があったころから申し出ていて、「院におかせられても、出過ぎた者とはおっしゃっていない」と聞いていたのだったが、このようにご降嫁になったことは大変に残念で、胸の痛む心地がするので、やはり諦めることができない。
 そのころから親しくなっていた女房の口から、ご様子なども伝え聞きくのを慰めにしているのは、はかないことであった。
「対の上のご寵愛には、やはり負けていらっしゃって」と、世間が噂しているのを聞くと、
「恐れ多いことだが、そのような辛い思いはおさせ申さなかっただろうに。いかにも、そのような高いご身分の相手には、相応しくないだろうが」と、いつもこの小侍従という御乳母子を責めたてて、
「世の中は無常なものだから、大殿の君が、もともと抱いていらしたご出家をお遂げなさったら」と、怠りなく機会を窺っているのであった。

 

《この章は、前段で夕霧の女三の宮に対する強い関心から語り始められましたが、実はこの後の話は、章の副題にあるとおり、この段から始まる、太政大臣の嫡男・衛門督(後の「柏木」の巻の主人公であることによって、後世、柏木と呼ばれる人。ここから彼をそう呼ぶことにします)の女三の宮への接近の長い物語の発端になって、源氏晩年の大問題を引き起こすことになります。

夕霧については、朱雀院も婿候補の一人として考えに加えてさえいたのでしたし、またその女三の宮は降嫁して来てごく身近にいるのですから、彼が関心を抱くのは、至って自然なことと言えます。

その自然なところから筆を起こしておいて、その人と一、二を競う当代きっての貴公子のもう一方に話を進めるという手順は、第三章第三段で話した『世界』の言う「虚構の、いわば必然的な自己運動」の一端かと思われ、うまい持って行き方だと思われます。

さて、その柏木は、こちらも女三の宮の婿候補には挙がったものの、叔母の朧月夜の尚侍を動員してまでの一族挙げての運動(第二章第五段)にも関わらず、「まだ年齢が若くて、あまりに軽い地位だ」(同第四段)ということで候補から外されたのでしたが、彼自身は「高貴な女性をという願いが強くて、独身で過ごしながら、たいそう沈着に理想を高く持している態度が誰よりも抜きんでてい」る(同)ということで、それで言えばこの姫宮はこの上ない方ですから、いったんそういう思いが宿れば、思いが募るのも無理からぬところです。なにしろ帝のご希望で尚侍に決まった人を、大将が横取りするということさえあったのですから、このくらいの希望は驚くに足らないでしょう。

加えて、その愛しく思う姫宮が、六条院に降嫁した後不遇な立場にあるという話を聞かされると、自分ならそんな扱いはしない、もっと幸福にしてさし上げられるという気持も加わって、ますます同情心と共に思いはかき立てられ、源氏が早く出家してしまわないかと、願うほどなのでした。

もっとも、「怠りなく機会を窺っているのであった(原文・たゆみなく思ひありきけり)」という思い詰めぶりは、これまでの柏木の控えめな振る舞いと齟齬すると考えるのが一般のようです(『の論』所収「蹴鞠の日―柏木登場」など)が、そこはとりあえず若さということにしておきましょう。柏木はこの時、二十三歳といったところです。》

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