【現代語訳】1
あの明石でもこのようなお話を伝え聞いて、あのような出家の心にも、たいそう嬉しく思われたので、
「今は、この世から心安らかな気持ちで離れて行くことができよう」と弟子たちに言って、この家を寺にして、周辺の田などといったものはみなその寺の所領にすることにして、この国の奥の郡で、人も行かないような深い山があるのをかねてより所有していたものの、あそこに籠もった後は再び人に見られることもあるまいと考えて、ほんの少し気がかりなことが残っていたので今までとどまっていたが、今はもう大丈夫と仏神をお頼み申して移ったのであった。
最近の数年間は、都に特別の事でなくては、使いを差し上げることもしないでいた。都からお下しになる使者ぐらいには言づけて、ほんの一行の便りなりと、尼君はしかるべき折のお返事をしていたのであった。
俗世を離れる最後に、手紙を書いて御方に差し上げなさる。
《明石の御方の上京の時(松風の巻)に別れて以来の、久々の入道の消息です。 彼は、あの後自邸を寺に変えてしまっていて、さらに山奥に住まうところを準備していて、いつかそこに籠もろうと考えていたようなのです。 そして今、彼は姫君の男御子出産というめでたい話を伝え聞いて、もはや現世に思い残すことなしと、その「人も行かないような深い山」に「仏神をお頼み申して移」ることにしたのでした。 一別以来、妻子とは、ほとんど音信も無かったようですが、いよいよその「俗世を離れる」というその前に、娘の「御方」に手紙を書きます。 彼は、その昔、「名家に生まれながら、その立場に馴染めず、みずから降格を願い出て都を去った」(松風の巻第一章第四段)のでしたが、ここで、その秘密の幾分かが明かされることになります。》