【現代語訳】

 院の帝は、その月のうちにお寺にお移りになった。こちらの院に、情のこもったお手紙を何度も差し上げなさる。姫宮の御事についても言うまでもない。気を遣ってどのように思うかなどと遠慮なさることなく、どうなりとただお心次第にお世話くださいますようにと、度々お申し上げなさるのであった。けれども、みにしみて気がかりで、幼くていらっしゃるのを御心配申し上げなさるのでもあった。
 紫の上にも、お手紙が特別にある。
「幼い者が、何のわきまえもない有様でそちらへ行っていますが、罪もないものと大目に見ていただき、お世話ください。お心にかけてくださるはずの縁もあろうかと存じます。
  背きしにこの世に残る心こそ入る山路のほだしなりけれ

  (捨て去ったこの世に残る子を思う心が、山に入る私の妨げなのです)
 親心の闇を晴らすことができずに申し上げるのも、愚かなことですが」とある。殿も御覧になって、
「お気の毒なお手紙よ。謹んでお承りした旨を差し上げなさい」とおっしゃって、お使いにも、女房を通じて杯をさし出させなさって、何杯もお勧めになる。

「お返事はどのように」などと、申し上げにくくお思いになったが、仰々しく風流めかすべき時のことでないので、ただ心のままを書いて、
「 背く世のうしろめたくはさりがたきほだしをしひてかけな離れそ

(お捨て去りになったこの世が御心配ならば、離れがたいお方を無理にお振り捨てなどなさいますな)」

などというようにあったらしい。
 女の装束に、細長を添えてお与えになる。ご筆跡などがとても立派なのを、院が御覧になって、万事気後れするほど立派なような所で、幼稚にお見えになるだろうことを、まことにお気の毒にお思いになっていた。

 

《朱雀院は、心配のタネだった女三の宮のことが片付いたので、とうとう院を出て寺に入り、本当の出家生活となりました。

しかし、やはり気がかりで、源氏の所に度々手紙が届きます。そこには、源氏の思いを知らないままに、姫宮を頼むと言うことが、綿々と書かれています。

手紙は、源氏だけではなく、紫の上にもありました。上は、院から見れば娘婿の私的な妻に過ぎません。その人に、よろしく頼むと言ったということは、読者にとっては当然ながら、上の存在がどれほど大きいかということをはっきりと示しています。

女三の宮は正室ではあるけれども、源氏の寵という実質的立場からは紫の上にはるかに劣ことを、院はよく承知しておられ、それは仕方がないと考えておられるわけです。

ふり返ってみると、この物語では、ずっと、こうした形と実質がアンバランスであることからドラマが生じていきました。そもそも桐壺帝のもとで最大の寵を得たのが、上位の女御ではなく下位の更衣だったことから、悲劇が生まれましたし、第一皇子がありながら、何事においてもまさる第二皇子が存在したことが、その後のドラマを運んできたのでした。そして今また、この二人の女性の公的地位と実際が逆転していることの摩擦エネルギーがこれからのドラマを展開させていく力になるわけです(物事が形どおり、順序どおりに進んでいれば、ドラマは起きないのですが、…)。

院の手紙は、娘をいたらぬ者とし、みずからを愚かな親心とへりくだり、従妹同士とは言ってもあまり繋がりの無かった淡い縁を頼りにしての、極めて丁重なものでした。それは、源氏が読んで「お気の毒なお手紙よ」と言うほどだったのです。

そういう手紙を貰って、それならば、と意を強くするような人であれば、紫の上ももっと楽な生涯が送られたでしょうが、もちろん、源氏が理想的だというような女性は、そういう人ではありません。

返事の歌も、一読、「出家などなさらねばいいのに」と院をたしなめる気分があるように思えて、少々なれなれしく感じられますが、これは「本当はよくないのでしょうが、出家の身ではいらっしゃっても、ずっと姫をご案じになって上げて下さい」という意味なのでしょうか。そういう慰め方が許されるものなら、大変情のある返事と言えるでしょう。法然上人は、眠気が念仏の妨げになって困るが、どうしたらいいかと問われて、「目が覚めている時に念仏しなさい」と応えたと、『徒然草』にあります(第三十九段)。》

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