【現代語訳】

 人々が参上などなさって、お座席にお出になるに当たり、尚侍の君とご対面がある。お心の中では、昔をお思い出しになることがさまざまとあったことであろう。
 実に若々しく美しくて、このように四十の御賀などということは、数え違いではないかと思われる様子が、優美で子を持つ親らしくなくいらっしゃるのを、久々に歳月を経て拝見なさるのはとても恥ずかしい思いがするが、やはり際立った隔てもなくお話をお交わしになる。
 幼い君も、とてもかわいらしくていらっしゃる。尚侍の君は、続いて二人もお目にかけたくないとおっしゃったが、大将が、せめてこのような機会に御覧に入れようと言って、二人同じように、振り分け髪の無邪気な直衣姿でいらっしゃる。
「年を取ることも、自分自身では特に気にもならず、ただ昔のままの若々しい様子で、変わることもないのだが、このような孫たちができたことで、きまりの悪いまでに年を取ったことを思い知られる時もあるのですね。
 中納言が早々と子をなしたというのに、仰々しく分け隔てして、まだ見せませんよ。誰より先に私の年を数えて祝ってくださった今日の子の日は、やはりつらく思われます。しばらくは老いを忘れてもいられたでしょうに」と申し上げなさる。

 尚侍の君もすっかり立派に年を重ねて、貫祿まで加わって、素晴らしいご様子でいらっしゃる。
「 若葉さす野辺の小松をひきつれてもとの岩根を祈る今日かな

(若葉が芽ぐむ野辺の小松を引き連れて、お育て下さった元の岩根を祝う今日の子の

日ですこと)」
と、努めて母親らしく申し上げなさる。沈の折敷を四つ用意して、御若菜を御祝儀ばかりに召し上がる。御杯をお取りになって、
「 小松原末のよはいにひかれてや野辺の若菜も年をつむべき

(小松原の将来のある齢にあやかって、野辺の若菜も長生きするでしょう)」
などと詠み交わしなさっているうちに、上達部が大勢南の廂の間にお着きになる。
 式部卿宮は参上しにくくお思いだったが、ご招待があったのに、このように親しい間柄で含みところがあるように取られるのも困るので、日が高くなってからお渡りになった。大将が、得意顔でこのようなご関係ですべて取り仕切っていらっしゃるのも、いかにも癪に障ることのようであるが、御孫の君たちはどちらからも縁続きゆえに、骨身を惜しまず雑用をなさっている。籠物四十枝、折櫃物四十、中納言をおはじめ申して、相当な方々ばかりが、次々に受け取って献上なさっていた。お杯が下されて、若菜の御羹をお召し上がりになる。御前には、沈の懸盤四つ、御坏類も好ましく現代風に作られていた。

 

《髭黒の左大将は、当然ながら一家でやって来ていました。さっそく玉鬘との対面があります。これも丸二年ぶりです(『集成』は三年ぶりの対面と注していますが、足かけで数えているのでしょうか。『集成』の年立てで玉鬘の出仕は一昨年の春となっています)。

源氏の若々しさは例の通りですが、玉鬘はすでに二児をもうけていて、二人もかわいらしい姿で義父の前に立ちました。

ところが、その時の源氏の挨拶はずいぶんひどいもののように聞こえます。

「私はまだ若いつもりでいるのだが、こうして孫を見せられると、年を自覚するしかないな。息子の夕霧は、ことさら(私を気遣ってだろう)子供を見せに来ないが、あなたにこのように年を数えての祝いをされると、ちょっといやになる。こんな事をしてくれなければ、もうしばらく若いつもりでいられたのに」と、そんな嫌みに聞こえます。

挨拶の場面ですから、大将も同席しているのではないかと思われますが、源氏としては照れ隠しの軽口というような気持なのでしょうか。当の子供もいるのですから、もうちょっと穏やかに言えそうなものだという気がします。『評釈』は玉鬘に対する間接的な慕情の表現と読んでいるようですが…。

続く、「尚侍の君もすっかり立派に年を重ねて」の「も」は、源氏と並べたのではなく、子供二人が立派だということに並べて言ったのでしょう。

その彼女の歌は、源氏の言葉をさらりとかわして、今日はあなたのお孫を見ていただきたつ、連れて来ましたと、「母親」の立場を強調したものでした。「努めて」と言った所以でしょうか。その上でのこういう話の躱し方が、この人を「女性の心の持ち方としては、この姫君を手本にすべきだ」(藤袴の巻末)とする所以なのでしょう。

そう言われると、源氏も引き下がるしかなく、「その子にあやかって私も長生きできよう」と、普通のお祖父さんになるしかないのでした。

この巻の名は、ここの源氏の歌によるとされ、また次の巻も再び若菜が小道具として使われることで、上・下巻とされていることについて『光る』が、「丸谷・男の老いをこれほど華やかに、そして皮肉に言う題は王朝風俗のなかで探してもほかに見あたらない」と言っていて、確かに、考えてみると、老人がもはやかなうはずもない若返りの願いを抱きながら若菜汁をすすっている図は、なかなかにすさまじいものがあります。

ほとんどの巻名は、この後も含めて格別な意味があるようには思われませんが、これと最後の「夢の浮き橋」は、さまざまなことを思わせる名前だという気がします。

ともあれ、源氏が「厳めしい儀式は、昔からお好みにならないご性分であるから、皆ご辞退申し上げなさ」っていた四十の賀が、こうして愛娘の嬉しいわがまま、という形でのサプライズによって強行されて、それが突破口となったのでしょう、彼は後に、紫の上、中宮、そして勅命での賀と、すべての賀を受け入れることになります。》

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