【現代語訳】

 中納言の君は、
「過ぎ去りました昔の事は、何とも分りがたく存じます。成人いたしまして、朝廷にもお仕え致す間に、世間の事をあれこれと経験してまいりますうちに、大小の公事につけても、親子の打ち解けた話し合いの中でも、『昔の辛い思いをしたことがあって』などと、ほのめかされることはございませんでした。
 『このように朝廷の御後見を中途でご辞退申して、静かに暮らしたいという思いを果たそうとすっかり隠退して後は、どのような事をも関係ないようにして、故院の御遺言通りにもお仕え申すことができず、御在位時代には、年齢も器量も不十分で、すぐれた上位の方々が多くて、私の思いを十分に尽くして御覧いただくこともなかった。今、このように御退位なさって静かにお暮らしになっていらっしゃるこの折に、思うところを心おきなく、参上してお話を承りたいが、そうは言っても何やら大層な身分のために、ついつい月日を過ごしたていること』と、時々お嘆き申し上げていらっしゃいます」などと、奏上なさる。
 二十歳にもまだわずか足りない年齢であるが、まことに立派に年齢以上に成人して、容貌も今を盛りに輝くばかりでたいそう美しいので、お目に止めてじっと御覧あそばしながら、この御心中を悩ましていらっしゃる姫宮の御後見に、この人はどうかなどと、人知れずお考えよりになるのであった。
「太政大臣の邸に、今は落ちつかれたそうですね。長年納得できないふうでおられるように聞いたことが気の毒に思えていましたが、安心したものの、やはり残念に思うことがあります」と仰せになる御様子を、

「何を仰せになろうとするのか」と、不思議に思って考えてみると、

「こちらの姫宮をこのように御心配なさって、適当な人がいたら、頼んで、安心して俗世を離れたいとお思いになって、仰せになるのだろう」と、自然と漏れお聞きになるつてもあったので、「そのようなことではないか」とは思ったが、すぐさま分かったような顔をして、どうしてお答え申し上げられよう。ただ、
「頼りにもならない私には、妻もなかなか得がたくございます」とだけお答え申し上げるにとどまった。


《夕霧の返事はなかなか見事です。

「過ぎ去りました昔の事」は、「須磨流謫のことには返答しにくいので、こう(「何とも分りがたく…」と)言う」と、『集成』。古いことは存じません、とその点をまずお断りしておいて、成人の後も、源氏の口から苦労したなどとは「ほのめかされ」たことさえない、と証言します。院が昔からの因縁を悔いながら語られたのに対して、応えに窮することもなく、さらさらと語っているように読めます。

「このように朝廷の御後見を…」という源氏の言葉は、読者の知っている事実とはかなり違っています。

太政大臣から準太上天皇になったことを言うのですが、それは「静かに暮らしたい」からではありませんでしたし、「(院の)ご在位中」に仕えられなかったのは、「すぐれた上位の方々が多」かったからではなく、右大臣方(院の母方)からの圧力で謫居しなくてはならなかったからでした。

しかし、夕霧は、すべてが父・源氏のせいでそういうことになったのだと言います。もちろん源氏の言葉ではなく、彼の機転です。

「二十歳にもまだわずか足りない年齢」、彼は今十八歳ですが、それでこういう話ができなければ、一流ではないわけです。

院は、恐らく内心で源氏についてはほっと安心しながら、この若者にすっかり感心して、噂で聞いておられたのでしょう、雲居の雁とのことを喜びながら、あの姫君の婿にこの人を、とさえ考えます。

そして、その気持が、「やはり残念に思うことがあります」と、ぽろりと出ると、またしても夕霧の頭は素早く回転して、あの姫君のことを思っておられるのだなと鋭く察し当てます。

そこで、「なかなか妻になってくれる人もなくて」(結局あの者しかおりませんで、という意味でしょうか)と、半分謙遜、半分冗談ふうに返事をします。『評釈』は「今は、やっとのことで許しを得た雲居の雁のことで頭がいっぱいなのである」と言いますが、しかし、聞きようによっては、まだ可能性が残っていると聞こえなくもないように思われるのですが、…。この人は、そんなに純なわけではないように思います。》

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