【現代語訳】
今日はまた、書のことなどを一日中お話しになって、いろいろな継紙をした手本を何巻かお選び出しになった機会に、御子息の侍従を宮邸に所蔵の手本類を取りにおやりになる。
嵯峨の帝が『古万葉集』を選んでお書かせあそばした四巻、延喜の帝が『古今和歌集』を、唐の浅縹の紙を継いで同じ色の濃い紋様の綺の表紙をつけ、同じ玉の軸とだんだら染に組んだ唐風の組紐などが優美で、巻ごとに御筆跡の書風を変えながら、あらゆる書の美をお書き尽くてお書きあそばしたのを、大殿油を低い台に燈して御覧になると、
「いつまで見ていても見飽きないものだ。最近の人は、ただ部分的に趣向を凝らしているだけにすぎない」などと、お誉めになる。そのままこれらはこちらに献上なさる。
「女の子などを持っていたにしましても、たいして見る目を持たない者には伝えたくないのですが、まして姫のいない我が家では埋もれてしまいますから」などと申し上げて差し上げなさる。
源氏は侍従に、唐の手本などの特に念入りに書いてあるのを沈の箱に入れて、立派な高麗笛を添えて、差し上げなさる。
またこの頃は、ひたすら仮名の論評をなさって、世間で能書家だと聞こえたさまざまな人々にも、ふさわしい内容のものを見計らって、探し出してお書かせになる。この御箱には身分の低い者のはお入れにならず、特別にその人の家柄や地位を区別なさっては、冊子、巻物、すべてをお書かせ申し上げなさる。
何もかも珍しい御宝物類、外国の朝廷でさえめったにないような物の中で、この数々の本を見たいと心を動かしなさる若い人たちが、世間に多いことであった。御絵画類をご準備なさる中で、あの『須磨の日記』は、子孫代々に伝えたいとお思いになるが、「もう少し世間がお分りになったら」とお思い返しになって、まだお取り出しにならない。
《書の話が弾んで、ということなのでしょうか、宮から新たに大変な贈り物がされます。嵯峨天皇の書かれた『古万葉集』(いわゆる『万葉集』二十巻)の抄出本四巻、それに延喜天皇の手になる『古今和歌集』、いずれも今なら最高級の国宝間違いなしと思われる珍品です。わざわざ息子を取りに帰らせたというのですから、贈り物として予定していたわけではなくて、話をしながらふと思いついたということなのでしょう。われわれ庶民とは違う感覚です。
「姫のいない我が家では埋もれてしまいます」と言っても、息子がいるのですから、それに譲ればよさそうなものですが、どういうことなのでしょうか。
源氏はさらに多くの書家を探し出して、さまざまなものを書かせました。それらは書の手本であると同時に、「冊子、巻物」を書かせた、とあるところを見ると、写本させたということなのでしょう。
さて、延々と語られてきた仮名文字の話がこれでどうやら一段落です。ここでは、さらにそこに絵画類が加えられて、こうして姫君の入内の準備が着々と進んでいきます。