【現代語訳】

 東宮の御元服は、二十日過ぎの頃に行われたのであった。たいそう大人でおいであそばすので、娘たちを競って入内させることを希望していらっしゃるというが、この殿がご希望していらっしゃる様子がまことに格別なので、かえって中途半端な宮仕えはしないほうがましだと、左大臣などもお思い留まりになっているということをお耳になさって、
「じつにもってのほかのことだ。宮仕えの趣旨は、大勢いる中で、僅かの優劣の差を競うのが本当だろう。たくさんの優れた姫君たちが家に引き籠められたならば、何ともおもしろくないだろう」とおっしゃって、御入内が延期になった。

その次々にもと差し控えていらっしゃったが、このようなことをあちこちでお聞きになって、左大臣の三の君がご入内なさった。麗景殿女御と申し上げる。
 こちらの御方は、昔の御宿直所の淑景舎を改装して、ご入内が延期になったのを、東宮におかれても待ち遠しくお思いあそばすので、四月にとお決めあそばす。ご調度類ももとからあったのにさらに加えて整えて、御自身でも道具類の雛形や図案などを御覧になりながら、優れた諸道の専門家たちを呼び集めて、こまかに磨きお作らせになる。
 冊子の箱に入れるべき冊子類を、そのまま手本になさることのできるのを選ばせなさる。昔のこの上もない名筆家たちが、後世にお残しになった筆跡類も、たいそうたくさんある。

 

《明石の姫君の裳着の儀式から十日ほど後、東宮の元服の儀が行われました。入内を受ける準備ができたわけで、さていざ姫君の入内という運びになるはずなのですが、すぐにはそうはいきませんでした。

入内の希望者が何人かいたのですが、明石の姫君が源氏の権勢を背負ってあまりに有力で、他の人たちが次の機会を待とうと、みんな尻込みしてしまったのです。ああ、そうかとそのまま明石の姫君の入内となってもよさそうなものですが、源氏は、入内を延期して対抗馬を待ちます。多くの姫たちが宮中で妍を競うことが大切なのだという考え方で、それによって宮廷の文化のレベルが保たれるのだということのようです。大所高所からの配慮ですが、もちろん自分が負けるはずがないという自信からの発想ですし、対抗馬を打ち負かすことでいっそう箔が付く、という点も見逃せません。

そういう意向が察せられると、候補者は出さないわけにはいかないのでしょう、左大臣(これは「系図なき人」と呼ばれる人で、出自の分からない人だそうです・『評釈』)が、三女の姫を入内させます。『集成』は「元服の副(添)伏である。権勢のある公卿の娘が選ばれ、皇妃の中では重い地位を占める」と言います。一番は期待できないので、せめて二番手の立場を、ということでしょう。

それを見てやおら明石の姫君の入内です。部屋が淑景舎に決まりました。帝の居所の清涼殿から最も遠い部屋で、ちょっと意外ですが、桐壺の別名があり、あの源氏の母・桐壺の更衣が住み、源氏も結婚する前はここを居所とした、懐かしい部屋です。源氏にそういう気持ちがあって希望したのでしょう。

源氏は、もちろん先の姫の入内に劣らないように(もちろん、そういう気遣いなどしなくても劣るはずはないのですが)準備をします。しかし、言わば後出しじゃんけんですから、ずいぶん気楽な作業です。源氏はのんびりと、嫁入り道具にする名筆家の書の選択を楽しんでいます。》

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