【現代語訳】
 この機会に、ご婦人方がご調合なさった薫物を、それぞれお使いを出して、
「今日の夕方の雨湿りに試してみよう」とお話申し上げなさるので、それぞれに趣向を凝らして差し上げなさった。
「これらを判定して下さい。『誰にか見せむ(他の誰に出来ましょう)』」と申し上げなさって、いくつもの御香炉を召して、お試しになる。
「『知る人』というわけでもありませんが」と謙遜なさるが、何とも言えない匂いの中で、香りの強すぎたり弱すぎたりする材料一つなどが、わずかの欠点となっているのを識別して、強いて優劣の区別をお付けになる。あのご自分の二種の香は、今お取り出させになる。
 右近衛府の詰め所の御溝水の辺に埋める例に倣って、西の渡殿の下から湧き出る遣水の近くに埋めさせなさっていたのを、惟光の宰相の子の兵衛尉が掘り出して参上した。宰相中将が、受け取って差し上げさせなさる。宮は、
「とても難儀な判者に任命されたものですね。とても煙たいことです」と、お困りになる。

同じ調合法は、どこにでも伝わって広がっているようだが、それぞれの好みで調合なさった薫き物の深さ浅さを嗅ぎ分けて御覧になると、とても興味深いこと多い。
 まったくどれと言えない香の中で、斎院の御黒方が、さすがに奥ゆかしく落ち着いた匂いが格別である。侍従の香では、源氏の大臣の御香が優れて優美でやさしい香りである、とご判定になさる。
 対の上の御香は、三種ある中で梅花の香がはなやかで当世風で、少し鋭く匂い立つように工夫を加えて、珍しい香りが加わっていた。
「今頃の風に薫らせるには、まったくこれに優る匂いはあるまい」と賞美なさる。
 夏の御方におかれては、このようにご婦人方が思い思いに競争なさっている中で、人並みにもなるまいと、煙の遊びにさえ消え入るような控えめなご気性で、ただ荷葉の香を一種調合なさった。一風変わってしっとりした香りで、しみじみと心惹かれる。
 冬の御方におかれても、季節ごとによる薫き物が決まっているから、春の香に負けるのもつまらないとお考えになって、薫衣香の調合法の素晴らしいのは、前の朱雀院のをお学びになって、源公忠朝臣が、特別にお選び申した百歩の方などを思いついて、またとない優美さを調合した、その考えが素晴らしいと、どれも悪い所がないように判定なさるのを、
「ずるい判者ですね」と申し上げなさる。

 

《風流人・兵部卿が来た機会に、折角作った香の出来映えを競わせてみようと、宮に判者を依頼して、各婦人方からそれぞれが調合した香が取り寄せられました。折から、雨上がりとあって、香を楽しむには、そういう湿気のある時の方がいいのだそうです。

宮は、風流人らしく洒落た謙遜をしながら、それぞれに判を下していきますが、もちろん真面目に優劣を決めることなどできませんから、それぞれの優れた点を挙げて、感心するばかりです。

もちろん源氏も、こういう時ですから、厳密な判定を求めているわけではなく、楽しみの一つとしての企画ですから、弟宮に「ずるい判者ですね」と冷やかしながら、どれを採っても素晴らしい出来映えであることに満足しての、いわゆる「ドヤ顔」でのことばです。

 斎院の「黒方」、源氏の「侍従」、対の上(紫の上)の「梅花」、夏の御方(花散里)の「荷葉」、冬の御方(明石の御方)の「薫衣香」は、それぞれ薫香の種類なのだそうで、当時の彼らにとっては、大変な関心事だったのでしょうが、私たちには縁遠いものになってしまって、その味わいは、残念ながら理解を超えています。

もとよりその責めは現代の私たちの側にあるのですが、それにしても、折角新しい話に入ったはずなのに、玉鬘十帖の初め、初音・胡蝶の巻あたりと同工異曲といった感じで、またかという印象で、前は正月の衣裳のお話が延々と続きましたが、こちらはそれが香に替わった、といったところです。

作者としては、こうしてあらゆる文化において六条院がいかに優雅で格調高く、素晴らしい世界であるかということを語ろうとしているのでしょうから、とりあえずはそのことを承知して、先に進みます。

ところで、ここで紫の上がはっきりと「対の上」と呼ばれます。第一段でも書いたように移った事情は説明されていません。このことについて『評釈』がそこで詳しく検討していますが、要は、後の新しい物語の都合ということのようで、私たちは、そうなんだと認めて、先に進みます。

源氏の言った「誰にか見せむ」は「君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る」(『古今集』38友則)によるようで、宮もそれによって応じているのですが、「知る人ぞ知る」という成句はこれが始まりなのだろうかと、思いがけなく、驚きました。》

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