【現代語訳】

 そうそう、あの内大臣のご息女で尚侍を望んでいた女君も、ああした類の人の癖として、色気まで加わってそわそわし出して、持て余していらっしゃる。女御も、「今に、軽率なことを、この君はきっとしでかすだろう」と、何かにつけ、はらはらしていらっしゃるが、大臣が、「今後は、人前に出てはいけません」と戒めておっしゃるのさえ聞き入れず、人中に出て仕えていらっしゃる。
 どういう時であったろうか、殿上人が大勢、立派な方々ばかりが、この女御の御殿に参上して、いろいろな楽器を奏してくつろいだ感じの拍子を打って遊んでいる。秋の夕方のどことなく風情のあるところに、宰相中将もお寄りになって、いつもと違ってふざけて冗談をおっしゃるのを、女房たちは珍しく思って、
「やはり、どの人よりも格別だわ」と誉めると、この近江の君が女房たちの中を押し分けて出ていらっしゃる。
「あら、困ったこと。これは大変」と引き止めるが、たいそう意地悪そうに睨んで出張っているので、困って、
「軽率なことを、おっしゃらないかしら」と、お互いにつつき合っていると、この世にも珍しい真面目な方を、
「この人よ、この人よ」と誉めて、小声で騷ぎ立てる声が、まことにはっきり聞こえる。女房たちは、とても困ったと思うが、声はとてもはっきりした調子で、
「 沖つ舟よるべ波路にただよはば棹さし寄らむ泊まり教へよ

(沖の舟さん。寄る所がなくて波に漂っているなら、私が棹さして近づいて行きます

から、行く場所を教えてください)
 棚なし小舟みたいに、いつまでも一人の方ばかり思い続けていらっしゃるのね。あら、ごめんなさい」と言うので、たいそう不審に思って、
「こちらの邸には、このようなぶしつけな人のことは、聞かないのに」と思いめぐらすと、

「あの噂の姫君であったのか」と、おもしろく思って、
「 よるべなみ風の騒がす舟人も思はぬかたに磯づたひせず

(寄るべもないので風がもて遊ぶ舟人でも、思ってもいない所には磯伝いしません)」
 とおっしゃったので、引っ込みがつかなかったであろう、とか。

 

《玉鬘が、人々からたくさんの篤い思いを寄せられながら周囲の思惑に翻弄され、波乱に振り回されて、その周辺に「妙に、男にも女にも物思いをさせ」(前節)、それでも今曲がりなりにもどうやら落ち着いた暮らしを得たころ、かの近江の君は、内大臣邸で、相変わらず溌剌とした厄介者を演じているのでした。

 ぼつぼ年頃となってきて、手元に預かって面倒を見ている(常夏の巻第二章)女御も不安を感じ始め、父上は心配で女御へのお勤めも控えるように言うのですが、言うことを聞くものではありませんでした。

折から、たまたま内大臣邸の弘徽殿の女御の所でくつろいだ音楽の集いがなされているところに夕霧が遊びに来て、この人には珍しく女房たちをからかい、談笑している時に、この人は何と言っても一応は姫君扱いですから、さっそく「女房たちの中を押し分けて出ていらっしゃる」と、人々の不安を知らぬげに、夕霧に向かって、雲居の雁への彼の思いをからかうように、歌を詠み掛けるのでした。周囲は、源氏の御曹司という大事な客であり、かつ、当代一の貴公子に対して、当人が一番つらく思っていることをずけずけと話しかけるとは、何ということを、と目を覆いたい気分だったことでしょう。

夕霧も驚きます。女御の周辺の女房にこんな人がいるとは、と「たいそう不審に思って」、思いめぐらし、さてはあの噂の姫君かと思い当たったのでした。

返歌は至って明快に、いえいえ、いくら行くところがなくても、噂のあなたは結構です、というものでした。

こうして、源氏中年の、いささかもたついた感のある玉鬘の物語は、口直し(いや、ほんのお口汚し?)のギャグのようなエピソードをもって幕を閉じて、以下は源氏の栄達の最終ラウンドに入ることになります。》

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