【現代語訳】

 三月になって六条殿の御前の藤や山吹が美しい夕映えを御覧になるにつけても、まっさきに、見る甲斐のある様子で座っていらっしゃったお姿ばかりが思い出されなさるので、春の御前の庭を放っておいて、こちらの殿に来て御覧になる。呉竹の籬に自然と咲きかかっている色艶が、たいそう美しい。
「色に衣を(口には出すまい)」などとおっしゃって、
「 思はずに井手の中道隔つとも言はでぞ恋ふる山吹の花

(思いがけずに二人の仲は隔てられてしまったが、心の中では恋い慕っていることだ)
 『顔に見えつつ(いつまでも面影に見えて)』」などとおっしゃっても、聞く人もいない。 

このように、さすがにすっかり離れてしまったことは、今になってお分かりになるのであった。ほんとうに、妙なおたわむれの心であるよ。
 鴨の卵がたいそうたくさんあるのを御覧になって、柑子や橘などのように見せて、何気ないふうに差し上げなさる。お手紙は、「あまり人目に立っては」などとお思いになって、そっけなく、
「逢わない月日も重なったのを、心外なおあしらいだとお恨み申し上げていますが、あなたお一人のお考えからではなく聞いておりますので、特別の場合でなくてはお目にかかることの難しいことを、残念に思っています」などと、親めいてお書きになって、
「 同じ巣にかへりしかひの見えぬかないかなる人か手ににぎるらむ

(私の所でかえった雛が見えないことだ、どんな人が手に握っているのだろう)
 どうしてこんなにまでもなどと、おもしろくなくて」などとあるのを、大将も御覧になって、ふと笑って、
「女性は、実の親の所にも、簡単に行ってお会いなさることは、適当な機会がなくてはなさるべきではない。まして、どうしてこの大臣は、度々諦めずに、恨み言をおっしゃるのだろう」と、ぶつぶつ言うのも、憎らしいとお聞きになる。
「お返事は、私は差し上げられません」と、書きにくくお思いになっているので、
「私がお書き申そう」と代わるのも、はらはらする思いである。
「 巣隠れて数にもあらぬかりの子をいづかたにかは取り返すべき

(巣に隠れて数にも入らない雁(仮)の子を、どちらに取り返そうとおっしゃるので

しょう)
 不機嫌なご様子にびっくりしまして。物好きなようですが」とお返事申し上げた。
「この大将がこのような風流ぶった歌を詠んだのも、まだ聞いたことがなかった。珍しくて」と言って、お笑いになる。心中では、このように一人占めにしているのを、とても憎いとお思いになる。

 

《源氏三十五歳の冬に玉鬘を六条院に迎えてから、丸二年が過ぎた春です。

あの見事な紫の上の春の庭を見ていても、源氏が思うのは玉鬘のことばかり、とうとうまた東北の邸の西の対にやって来ます。もちろんそこには、名実ともに人の妻となってしまった玉鬘の姿はすでになく、庭を眺めて物思いに耽るだけです。『伊勢物語』第四段「月やあらぬ」の風情と言えましょうか。
  彼は思わず「色に衣を」と口にします。引き歌で、珍しく『集成』と『評釈』・『谷崎』の挙げる歌が異なっていますが、いずれにしても山吹の黄色から「梔子(くちなし)」を連想して詠んだもので、「言はで心にものをこそ思へ」、または「思ふとも恋ふとも言はじ」といった気持です。やっと殊勝にも玉鬘を諦めねばならないという気持になってきたようです。

それでもまだ思いが絶えたわけではなく、「鴨の卵(『評釈』が、献上品なのだろうと言います)がたいそうたくさんあるのを御覧になって」、それに色を塗って果物のように見せて贈り、文を添えたのでした。終わりの「どうしてこんなにまでも」は、そんなに厳しくガードしなくてもよさそうなものを、という気持、逢いたい気持をストレートに書いた、親としての手紙なので、大将にも読まれて、笑われてしまいます。安堵の笑いと言いますか、大将から見て、源氏が年寄りに見えた瞬間だったように思われます。

それでも大将はまだ安心ならず、玉鬘に、独り言のようにしてそれとなく妻の心得を説いて聞かせます。そして玉鬘が返事を書きしぶっているのをさいわいに、自分が代筆しました。「物好きなようですが(原文・好きずきしきや)」を、『評釈』が「男が手紙を男あてに送るのを自嘲して」言ったものか、と言い、明石入道の源氏への手紙にも同じ言葉があった(明石の巻第二章第七段1節)ことを指摘しています。そう言われれば、大人の男同士で具体的な用件のない手紙というのは、どことなくいかがわしい感じもします。

生真面目な大将にしては、洒落た返事だと源氏は笑いますが、心の内は、生まれて初めて恋の競い合いに負けて、だらしなく引っ込むしかない敗北感です。『構想と鑑賞』は「悩んだ末の諦観ともいうべきものがあり、人間的生長がみられる」と言います。昔だったら、なお忍んで行って、思いを遂げただろうに、そうしなかったことを評価するのでしょうが、自分で選択した結末ではないわけですから、「生長」と言えるかどうか…。むしろ、結果的に恋愛ゲームであったということを物語っていると考える方がいいでしょう。もちろん、当時の大宮人には生活の中に必須のゲームだという前提で、ですが。》

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