【現代語訳】

 いつも寄りかかっていらっしゃる東面の柱を他人に譲るような気がなさるのも悲しくて、姫君は桧皮色の紙の重ねにほんの小さく書いて、柱のひび割れた隙間に笄の先でお差し込みになる。
「 今はとて宿かれぬとも馴れ来つる真木の柱はわれを忘るな

(今はもうこの家を離れて行くけれど、馴れ親しんだ真木の柱は私を忘れないでね)」
 すらすらと書き終わることもできずお泣きになる。

母君は、「いえ、なんの」と言って、
「 馴れきとは思ひ出づとも何により立ちとまるべき真木の柱ぞ

(長年馴れ親しんで来たと真木柱が思い出しくれるにしても、どうしてここに留まっ

ていられましょうか)」
 お側に仕える女房たちもそれぞれに悲しく、「日ごろはそれほどまで思わなかった木や草のことまで、恋しく思うことでしょう」と、目を止めて、鼻水をすすり合っていた。
 木工の君は殿の女房として留まるので、中将の君は、
「 浅けれど石間の水は澄み果てて宿守る君やかけ離るべき

(浅い関係のあなたが残って、邸を守るはずの北の方様が出て行かれることがあって

よいものでしょうか)
 思いもしなかったことです。こうしてお別れ申すとは」と言うと、木工の君は、
「 ともかくも岩間の水の結ぼほれかけとむべくも思ほえぬ世を

(何とも言いようもなく私の心は悲しみに閉ざされて、いつまでここに居られますこ

とやら)
 いや、そのような」と言って泣く。
 お車を引き出して振り返って見るのも、再び見ることができようかと、心細い気がする。梢にも目を止めて、見えなくなるまで振り返って御覧になるのであった。「君が住む」というわけではないが、長年お住まいになった所がどうして名残惜しくないことがあろうか。

 

《いくら待っても帰って来ない父親に、姫はとうとう立ち上がるしかなくなりました。彼女は別れの歌を、いつもそれに寄りすがってさまざまに思いを馳せていた部屋の真木の柱に挟んで残します。ここに詠まれた真木柱が巻の名の拠るところで、また後世、この姫の呼び名となります。

歌も、することも、何とも幼い、かわいらしいもののように思われますが、北の方の反応は、こんな所に留まったところで何の甲斐もないと、夫全否定の、何とも手厳しいものでした。しかし、後の女房たちの感慨が、それが本心ではないことを間接的に示しているわけで、彼女の腹立たしさは、情けなさ、悲しさの裏返しなのであろうと思わせます。

木工の君と中将の君も歌をかわしますが、一方は大将の所に残り、一方は北の方に従っていくとあって、どちらも相手の方が羨ましいと思われる面があって、これはこれでまた何とも微妙なやりとりです。

「梢にも目を止めて」以下は、「菅原道真が左遷されて京を去った時の歌…による」(『集成』)叙述ということで、「事の大小に差がありすぎるから、喜劇にもなるところであるが、読者を笑わすつもりは作者にはなさそうだ。ただ少し余裕をつける気持はあろう」と『評釈』は言います。

夫に腹を立てて出て行く母親が、お父さん子らしい姫の嫌がるのを敢えて連れて、見返りしながら去っていくというかなり切ない図に、いささか皮肉な色合いを加えた、という感じでしょうか。どうも、作者はこの北の方にあまり好意的ではないようです。》

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