【現代語訳】

 お子様たちは無心に歩き回っておられるのを、母君が皆を呼んで座らせなさって、
「私は、このようにつらい運命と今は見届けてしまったので、この世に未練はありません。どうなりとなって行くことでしょう。生い先も長いのに、何といっても散り散りになって行かれるだろう様子が、悲しくも思われることです。
 姫は、どうなるにせよ、私についていらっしゃい。かえって、男君たちはどうしてもお父様のもとに参上してお会いしなければならないでしょうが、構っても下さらないでしょうし、どっちつかずの頼りない生活になるでしょう。宮が生きていらっしゃるうちは、型通りに宮仕えはしても、あの大臣たちのお心のままの世の中ですから、あの気を許せない一族の者よと、やはり目をつけられて、立身することも難しい。それだからといって、山林に続いて入って出家することも、来世まで大変なこと」とお泣きになると、皆、深い事情は分からないが、べそをかいて泣いていらっしゃる。
「昔物語などを見ても、世間並の愛情深い親でさえ、時勢に流され、後妻の言うままになって、冷たくなって行くものです。まして、形だけの親のようで、今でさえすっかり変わってしまったお心では、頼りになるようなお扱いをなさるまい」と、乳母たちも集まって来て、北の方は一緒にお嘆きになる。

 日も暮れ、雪も降って来そうな空模様も心細く見える夕方である。
「ひどく荒れて来ましょう。お早く」と、お迎えの君達はお促し申し上げて、お目を拭いながら物思いに沈んでいらっしゃる。姫君は、殿がたいそうかわいがって、懐いていらっしゃるので、
「お目にかからないではどうして行けようか。『これで』などと挨拶しないで再び会えないことになると困る」とお思いになると、突っ伏して、「とても出かけられない」とお思いでいるのを、「そのようなお考えでいらっしゃるとは、とても情けない」などと、おなだめ申し上げなさる。

「今すぐにも、お父様がお帰りになってほしい」とお待ち申し上げなさるが、このように日が暮れようとする時、あちらをお動きなさろうか。

 

《「子供たちはいつもと違うありさまをおもしろがる」(『評釈』)ものです。この日も、引っ越し騒ぎの中で、はしゃいで、「無心に歩き回って」います。

それを北の方が呼んで、諭して聞かせるのでした。お父様との間がもうどうにもならなくなったので、みんな別れ別れにならなくてはなりません。姫は、女の子だから私と一緒にいらっしゃい。心配なのは男君たちです。「男君たちは、どうしてもお父様のもとに参上してお会いしなければならない」とありますから、一応は連れて行くつもりのようですが、やはり大将の力を借りなければ世に出ることはできないでしょう。しかしその父は新しい奥方のことがあって、「構っても下さらないでしょう」。お祖父様の宮がいらっしゃるから、それなりの地位は貰えるかも知れないが、宮は源氏と疎遠だから、大きな望みは持てないでしょう。と言って、出家などしてくれては、私にとって来世までの悲しみの種になるし…。

子供たちは一緒になって泣き出します。「皆、深い事情は分からないが」が、当然ですがうまいところで、「子供は、母の、この激した言葉を理解したのではない。母の泣き声に合わせて、おろおろ泣く」(『評釈』)のであって、それによってどうしようもない哀れが描かれます。

乳母たちも集まってきて、殿は後妻の玉鬘の顔色を窺わなくてはならなくなって「言うままに」おなりになるだろう、するとあなた方たちには「冷たくなって行」かれるに違いなく、「頼りになるようなお扱いをなさるまい」と、「一緒になって」繰り言が尽きません。

今の北の方には、希望的な思いは、何ひとつ描き出せない気持だということなのでしょうが、実は、この北の方は「人にひけをお取りになるようなところはない」(第二章第一段)人だったはずで、別れ際に子供たちにこんなにまでひどいことを言うというのは、ちょっと解せません。普通なら、嘘でも、もう少し元気づけてやろうとするところでしょう。

「昔物語」(「『住吉物語』や『落窪物語』など、継母の言いなりになって先妻の子をうとんずる話」・『集成』)並みに、泣かせ所といった感じで書いて、こうなってしまったのでしょうか。

夕暮れになり、雪模様になって来たので、出立を急かされます。しかし姫君は、父親になついているので、せめて一言別れの言葉を、と、帰りを待って、動こうとしません。

母親は面白くありません。自分が折角娘のためを思って連れて行こうとしているのに、その娘は父に思いを残しているのでは、立つ瀬がなく情けなく、いらだたしいばかりです。

しかも父親は、こうして雪模様の夕暮れに、新しい妻のもとを離れてくるはずもありません。》

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