【現代語訳】
大臣も、
「やはりそうか。このように人は推量するのに、その思ったとおりのことがあったら、まことに残念でおもしろくないことだろうに。あの内大臣に、何とかしてこのような身の潔白なさまをお知らせ申したいものだ」とお思いになると、
「なるほど、宮仕えということにして、はっきりと分からないようにごまかした懸想を、よくもお見抜きになったものだ」と、気味悪いほどにお思いになる。
こうして御喪服などをお脱ぎになって、
「来月になると、やはり御出仕するには障りがあろう。十月ごろに」とおっしゃるのを、帝におかせられても待ち遠しくお思いあそばされ、求婚なさっていた方々は、皆が皆、まことに残念で、この御出仕の前に何とかしたいと考えて、懇意にしている女房たちのつてづてに泣きつきなさるが、
「吉野の滝を堰止めるよりも難しいことなので、まことに仕方がございません」と、それぞれ返事をする。
中将も、言わなければよいことを口にしたため、「どのようにお思いだろうか」と胸の苦しいまま駆けずり回って、たいそう熱心に何かとお世話をするふりをしながら、ご機嫌をとっていらっしゃる。簡単に、軽々しく口に出しては申し上げなさらず、体よく気持ちを抑えていらっしゃる。
《源氏は、夕霧にはあのように何とか弁明したものの、やはり心配していたように、世間はさまざまに取りざたをしているのだと思うと、ちょっと考え込みました。
源氏としては、一応潔白なのですが、危うい気持は十分にあったのですから、そう威張れたものでもありません。一歩先に進まなかったことを、今になってみると、やれやれ、と胸をなで下ろす気持です。
そしてそういう気持ちを見抜いた内大臣に、負い目を感じました。
さて、出仕の日取りですが、「来月になると…障りがあろう。十月ごろに…」はちょっと分かりにくい言い方ですが、「来月」を九月と考えて、その先の十月にしようということのようです。「九月は結婚を忌む習慣があった。季(この場合は秋)の果てだからであろう」(『集成』)ということがあったようで、九州で玉鬘が大夫の監から言い寄られた時(玉鬘の巻第二章第二段)の乳母の言い訳にも使われた俗信です。
日取りが決まると、あとは粛々と段取りが進むのかと思うと、どうもそうではないようで、かねて思いを寄せ、名乗りを上げていた人々が次々に「この御出仕の前に何とかしたいと考えて」、お付きの女房たちを口説いたと言いますから、驚きです。こういうことには帝の威光は利かないのでしょうか。
朧月夜尚侍と源氏のことは、当時の弘徽殿方が許し難く思ったことから、源氏謫居の誘因となりましたが、こちらは正式なルートを通しての表の話だから構わないということなのでしょうか。恋の道は平等だったのかも知れません。
その後夕霧は、玉鬘については、失敗に懲りたようで、あの口説きを忘れたようなふうに、以前にも増して彼女の世話に務めます。少し遠ざかるのが普通だという気がしますが、このあたりも彼の彼たる所以なのでしょう。》