【現代語訳】

「参上しなくてはいけないところでしたが、お呼びがないことに遠慮して、お越しを承りながら参りませんでしたら、お叱り事が増えたことでしょう」と申し上げなさると、
「お叱りを受けるのは、こちらの方です。お怒りだと思うことがたくさんございます」などと意味ありげにおっしゃるので、あのことだろうかとお思いになると、厄介なことに思われて、恐縮した態度でいらっしゃる。
「昔から、公私の事柄につけて心に隔てなく大小のことを申し上げ、承って、羽根を並べるようにして、朝廷の御補佐も致していると存じておりましたが、年月がたちまして、その当時考えておりました気持ちと違うようなことが時々出て来ましたが、内々の私事でしかありません。
 総じてあなたへの気持は少しも変わるところはありません。特に何ということもなく年をとって行くにつれて、昔のことが懐しくなったのに、お目に掛かることも大変まれですので、身分やきまりがあって、威儀あるお振る舞いをなさらなければとは存じながらも、親しい間柄では、そのご威勢もお控え下さって、お訪ね下さったらよいのにと、恨めしく思うことが度々ございます」と申し上げなさると、
「昔は、おっしゃる通りよくお会いして、何とも失礼なまでにいつもご一緒申して、心に隔てなくお付き合いいただきましたが、朝廷にお仕えした当初は、あなたと羽根を並べる一人とは思いもよりませんで、嬉しいお引き立てをば、大したこともない身の上で、このような地位に昇りまして、朝廷にお仕え致しますことに合わせても、有り難いと存じませぬのではありませんが、年をとったせいで、おっしゃる通りつい怠慢になることばかりが、多くございました」などと、お詫びを申し上げなさる。

その折りに、ちらと姫君のことをおっしゃったのであった。内大臣は、
「まことに感慨深く、めったにないことでございますね」と、何よりも先お泣きになって、「その当時からどうしてしまったのだろうと捜しておりましたことは、何の機会でございましたでしょうか、悲しさに我慢できずに、お話しお耳に入れましたような気が致します。今このように、少し人並みにもなりますにつけても、つまらない子供たちが、それぞれの縁故を頼ってうろうろ致しておりますのを、体裁が悪くみっともないと思っているのに添えましても、またそれはそれとして数々いる子供の中では、不憫だと思われる時々につけても、真っ先に思い出されるのです」とおっしゃるのをきっかけに、あの昔の雨夜の物語の時に、さまざまに語った親しい議論をお思い出しになって、泣いたり笑ったり、すっかり打ち解けられた。

 

《ここもまた、実に大人の挨拶、対話という感じです。『評釈』は「源氏の攻撃開始」とか「切り札」「ぎくりとして」と言って、あたかも二人の対決のような鑑賞をしていますが、もちろんそういう一面はなくもないながら、それぞれの立場を維持しながら、言うべきことを悪くない言い回しで語っているように思います。

まずは双方が自分の非から語り始めます。そして源氏が、夕霧と御娘のことは懸案になってはいるが、それは「内々の私事」に過ぎないとして、私の気持ちは変わらないのに、あなたが表向きだけの堅苦しいお付き合いしかして下さらなくて、と恨み言の形で、隔意のない気持ちを表します。

その中で「特に何ということもなく年をとって行くにつれて」という言葉が目を引きます。もちろんその大方は謙遜でしょうが、「年月がたちまして」の原文「末の世となりて」という言葉と合わせてみると、一抹の老境の倦怠が無くもありません。

それに対して内大臣は、源氏が自分を取り立ててくれたことへの謝意を言うことで、敬意を示しながら、自分の態度が年に伴う怠慢だったことにして、詫びを言います。

どちらも傷つかない形でのみごとな大人の和解で、私たちも学ぶべきところの多い態度だと思います。

その話の折りに、「ちらと姫君のことをおっしゃった(原文は「ほのめかし出でけり」とあるだけです)」と言います。読者としては、源氏がどう話したのか知りたいところですが、すでに大宮に話した場面がありますから、作者は重複を避けたのでしょう。おおむねその時と同じように話され、ついては裳着の「腰結い」の役をぜひにと頼んだのだ、と思っておくことにします。

内大臣の反応は、実に率直なものでした。

続けての話題が、ではその玉鬘本人をどうするかというような話ではなく、それは脇に置いて、あの「雨夜の品定め」の時の思い出話に移っていった、というのも、大人同士の含みのある対話で、これもまたなかなかいい感じです。

それもこれも、おそらくはいささか酒が入っているからのことで、酒というのは大変に好いものです。》

にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ