【現代語訳】
 気疲れのする方々をお回りになるお供をして歩いて、中将は何となく気持ちが晴れず、書きたい手紙など、日が高くなってしまうのを心配しながら、明石の姫君のお部屋に参上なさる。
「まだあちらにおいでいらっしゃいます。風をお恐がりになって、今朝はお起きになれませんでしたこと」と、御乳母が申し上げる。
「ひどい荒れようでしたから、宿直しようと思いましたが、大宮がたいそう恐がっていらっしゃったものですから。お雛様の御殿は、いかがでいらっしゃいましたか」とお尋ねになると、女房たちは笑って、
「扇の風でさえ、吹いてくれば大変なことにお思いになっているのを、今にも壊されそうでございました。この御殿のお世話に、困りっております」などと話す。
「大げさでない紙はありませんか。お局の硯を」とお求めになると、御厨子に近寄って、紙一巻を、御硯箱の蓋に載せて差し上げたので、
「いや、これは恐れ多い」とおっしゃるが、北の御殿の世評を考えれば、そう気をつかうほどでもない気がして、手紙をお書きになる。
 紫の薄様の紙であった。墨はていねいにすって、筆先を見ながら念を入れて書いて、筆を休めていらっしゃる姿は、とても素晴らしい。けれども、妙に型にはまって、感心しない詠みぶりでいらっしゃった。
「 風騒ぎむら雲まがふ夕べにも忘るる間なく忘られぬ君

(風が騒いでむら雲が乱れる夕べにも、片時も忘れることのできないあなたです)」
 風に吹き乱れた刈萱にお付けになったので、女房たちは、
「交野の少将は、紙の色と同じ色の物に揃えましたよ」と申し上げる。
「それくらいの色も考えつかなかったな。どこの野の花を付けようか」などと、こんな女房たちにも、言葉少なに応対して気を許すふうもなく、とてもきまじめで気品がある。
 もう一通お書きになって右馬助にお渡しになると、美しい童やまたよく心得た御随身などにひそひそとささやいて渡すのを、若い女房たちは宛先をひどく知りたがっている。

 

《最後に残っていたもう一人の女性とは、八歳になった明石の姫君です。

一回りして東南の邸に源氏と一緒に帰ってきた夕霧は、感動したり、気骨が折れたり、また驚くべき光景を見たりで、思うことが色々あって、少々くたびれています。

それに、雲居の雁に手紙も書きたいのですが、それよりも先に明石の姫君の所にも顔出ししておかなければと、源氏のそばを離れて、寝殿西面の姫の部屋にやってきました。

源氏から、将来兄という立場からこの姫の後見役をするように、ということで、「南面の御簾の内側に入ることはお許しになっていた」(蛍の巻第三章第四段)のだったので、まじめな彼が、「お雛様の御殿は」などと、珍しく軽口をきくような、気楽に出入りできるところなのです(姫の人形遊びの相手をしていたことが、同じ所に書かれていました)。

しかし姫はまだ「あちら」(寝殿の東面、紫の上の所)に行って、留守でした。昨夜は風におびえて、向こうで寝たのでしょうか。

夕霧は手紙を書こうと、女房に紙と硯を求めます。彼は「お局の硯を」と頼んだのです(「局」は女房の部屋です)が、女房は「御厨子に近寄って」、つまり姫の硯と紙をもってきたのでした。相手が源氏の御曹司だからそうしたのでしょうか。夕霧は、一旦は「恐れ多い」と思ったのですが、「北の御殿の世評を考えれば、そう気をつかうほどでもない気がして」、それを使うことにします。仮に東の邸なら、取り替えさせたということでしょうか。

初めから女房のものを持って来たということにしても物語としては何の問題もなかったのですが、作者がことさらに姫のものを持って来させることにして、夕霧にそういう屈折した思いを抱かせたことで、夕霧のリアリステイックな一面が、ちらりと描かれました。

何も思わずに使えば、鷹揚か無神経か傲慢です。彼は若者らしく、源氏の嫡男である自分と父の御方である相手の位置を計っているのです。

「お局の硯を」と一応謙遜しておきながら、そういう計算をして姫のものを使う、こういうところが、この人を若く、悪くいえばちょっと小さく見せます。

彼はいろいろに思案しながら手紙を書きます。その姿は「とても素晴らしい」のですが、肝心の手紙を付ける花の小枝を選び損ねて、女房に注意されてしまいます。彼は大変まじめで、マメな人なのですが、こういう点でも、また今一歩、気持の入らないところがあるのです。まじめな若者に時々見られるタイプ、という気がします。》

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