【現代語訳】
 南の御殿では、御格子をすっかり上げて、昨夜見捨てて寝るのがつらかった花々が見るかげもなく萎れて倒れているのを御覧になった。中将が、階段にお座りになって、お返事を申し上げなさる。
「激しい風を防いで下さいましょうかと、子供のように心細がっておりましたが、今はお使いを頂いて、もう安心しました」と申し上げなさると、
「妙に気が弱くいらっしゃる宮だ。女ばかりで空恐ろしくお思いであったに違いない昨夜の様子だったから、おっしゃる通り、不親切だとお思いになったことであろう」とおっしゃって、すぐに参上なさる。御直衣などをお召しになろうとして、御簾を引き上げてお入りになる時、低い御几帳を引き寄せて、わずかに見えたお袖口は、「きっとあの方であろう」と思うと、胸がどきどきと高鳴る気がするのもいやな感じので、他の方へ視線をそらした。
 殿が御鏡などを御覧になって、小声で、
「中将の朝の姿は美しいな。今はまだ子供のはずなのに、不体裁でなく見えるのも、親の欲目からであろうか」と言って、ご自分のお顔は、年を取らず美しいと御覧のようである。とてもたいそう気をおつかいになって、
「中宮にお目にかかるのは、気後れする感じがします。特に人目につく由緒ありげなところもお見えでない方だが、奥の深い感じがする。何かと気をつかわされるお人柄だ。とてもおっとりして女らしい感じだが、どこか人と違ったところがおありだ」とおっしゃって外にお出になると、中将は物思いに耽って、すぐにはお気づきにならない様子で座っていらっしゃったので、察しのよい人のお目にはどのようにお映りになったことか、引き返してきて、女君に、
「昨日、風の騷ぎに、中将は見申したのではないでしょうか。あの妻戸が開いていたからね」とおっしゃると、お顔を赤らめて、
「どうして、そのようなことがございましょう。渡殿の方には、人の物音もしませんでしたもの」とお答え申し上げなさる。
「どうも変だ」と独り言をおっしゃって、お渡りになった。
 中宮のお部屋の中にお入りになったので、中将は、渡殿の戸口に女房たちのいる様子がしたので近寄って冗談を言ったりするが、心に掛かるあれこれが嘆かわしくて、いつもよりもしんみりとしていらっしゃる。

 


《中宮への使いを終えた夕霧が南邸に帰ってきています。

南の邸では、格子をすっかり上げて、部屋から源氏夫妻が昨夜の嵐で荒らされた庭をながめています。もちろん紫の上は御簾の中です。そこに夕霧が中宮の所からに帰って来て、中宮からの返事を伝えます。

「激しい風を防いで下さいましょうか」というのは、源氏の威勢を持ってすれば、嵐など来ないかと思っていた、という子どものような甘えです。「こんなふうに言われると、源氏が足を運ばねばならなくなる」(『評釈』)ので、早速準備に部屋に入ります。その時上げた御簾の下から、夕霧のめざとい目が、わずかに見えた女性の袖口を捉えます。この時彼女がいた場所について、『評釈』がいろいろに考察した結果、女君は庇の間の御簾の陰まで出ていた、といったところか、としながら、「どうも、こういうことになると、後世の者にはわからない」と言います。源氏は簀子にいたのでしょうか。

ともあれ、夕霧はその袖口を間違いなく紫の上のものと感じて、胸を高鳴らせ、目を逸らします。若き源氏なら、どうしたでしょう。

源氏は、部屋に入って鏡の前で身支度をしながら、息子の思いがけないりりしい若者ぶりに、妻に「親の欲目か」と語りかけますが、「ご自分のお顔は、年を取らず美しいと御覧のよう」だ、と続くと、それは妻から「いいえ、あなたも」と言ってくれという意味なのだろうかと思われます。息子と張り合ってどうする、という気がして、おかしいのですが、彼としては大まじめなのでしょう。

中宮の所へ行きかけて、夕霧の様子がおかしいと思い、やはり妻が見られたかと疑い、いや、気づいたと言うべきでしょう、紫の上に注意を促します。

当時の父子関係には、そういう配慮が必要なほどに、さまざまなトラブルが珍しくなかったということなのでしょうか。源氏と藤壺はもとより、そう言えば空蝉にも義理の息子との間にそんなことがありました(帚木の巻第三章第二段3節、蓬生の巻末)から、これで三件目です。

ある種の獣は、子どもの雄がある程度成長すると、群のボスがその子を群から追い出すという話があったように思いますが、…。

さて、源氏は中宮の所に赴き、ついて行った夕霧は、部屋の外で女房と戯れ言を交わしながら、まだ紫の上の幻を追っているようです。》


 都合により、明日と明後日、休載します。二十九日の火曜日にまたお目に掛かります。

ちょっとの間、ごきげんよう。


 
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