【現代語訳】

「舌の生まれつきなのでございましょう。子供でした時でさえ、亡くなった母君がいつも嫌がって注意しておりました。妙法寺の別当の大徳が、産屋に詰めておりましたので、それにあやかってしまったと嘆いていらっしゃいました。何とかしてこの早口は直しましょう」と大変だと思っているのも、たいそう孝行心が深く、けなげだとお思いになる。
「その、側近くまで入り込んだ大徳こそ、困ったものです。全てはその人の前世で犯した罪の報いなのでしょう。唖とどもりは、法華経を悪く言った罪の中にも、数えているよ」とおっしゃって、

「わが子ながらも気の引けるほどの御方に、お目に掛けるのは気が引ける。どう考えて、こんな変な人を調べもせずに迎え取ったのだろうとお思いになり、女房たちも次々と見ては言い触らすだろう」と、考え直しなさるが、
「女御が里下りしていらっしゃる時々に、お伺いして、女房たちの行儀作法なども見習いなさい。大したことのない者でも、自然と大勢の中に混じって、その立場に立つと、恰好もつくものです。そういうつもりで、お目通り申されませんか」とおっしゃると、
「とても嬉しいことでございます。ただただ何としてでも、皆様方にお認めいただくことばかりを、寝ても覚めても、長年この願い以外の何も思っていませんでした。お許しさえあれば、水を汲んで頭に乗せて運びましても、お仕え致しましょう」と、たいそう調子よく一段と早口にしゃべるので、どうしようもないとお思いになって、
「まあそんなに、自分で薪をお拾いにならなくても、参上なさればよいでしょう。ただあのあやかったという法師さえ離れたならばね」と、冗談事に紛らわしておしまいになるのも気づかずに、同じ大臣と申し上げる中でも、たいそう美しく堂々として、きらびやかな感じがして、並々の人では顔を合わせにくい程立派な方とも分からずに、
「それでは、いつ女御殿の許に参上することにいたしましょうか」と申しあげるので、
「吉日などというのが良いでしょう。いや何、大げさにすることはない。そのようにお思いならば、今日にでも」と、お言い捨てになって、お渡りになった。

 

《何とも、愉快な対話で、悪気のない、あっけらかんとした姫君の言葉に翻弄されている内大臣の姿が、気の毒ですが滑稽です。

「(早口は)舌の生まれつきなのでございましょう(原文・舌の本性にこそはべらめ)」は、当時としては普通の言い方なのでしょうか、私のせいではないと言っているように聞こえます(続いて、大徳のせいだという話になります)が、それでも「直しましょう」というあたり、至って素直です。

それに対して父がすぐに「たいそう孝行心が深く、けなげだとお思いになる」と納得するのも、少々軽率ではないかという気がしますが、はたしてすぐに「水を汲んで頭に乗せて運びましても、お仕え致しましょう」ととんでもない申し出をされて、慌てることになります。恐らく彼女は幼少の頃には実際にそういう作業をしていたのでしょう。彼女にしてみれば、生活実感からの精一杯の申し出なのです。

それでもまだ父君には「法師さえ離れたならば」と冗談に紛らす余裕があったのです。それまでに何とか早口だけは直して貰いたい、と彼は言ったつもりなのでしょう。そのくらいの察しは、察しのうちに入らない…。

しかし「ただただ何としてでも、皆様方にお認めいただくことばかりを」願ってきた娘に耳は、そんなことはあっさり聞き過ごして、「それでは、いつ」と催促です。それも原文では「参りはべらむずる」とあって、これは『枕草子』が「『いはむずる』『里へ下がらむずる』などいへば、やがていとわろし」(「ふと心おとりするもの」の段)と言っている、当時使われ始めた助動詞「むず」の用例で、下品な表現とされていたものです。

ガックリ来た父は、自分から言い出したことでもあり、早く手放したくもあり、これ以上うまく噛み合わない対話をするに堪えないで、どうぞ好きなように、と逃げ出すしかありませんでした。

大事なことは、この姫君に、何の悪気もないことで、多分素直な心を持った、好い娘なのです。ただ如何せん、貴族感覚からみれば、自然児に過ぎるのです。

なお、この姫を近江の君と呼ぶのは、ここの冒頭で「妙法寺(近江国神崎郡にあった寺)の別当の大徳が、(母の)産屋に詰めておりました」とあり、近江生まれと思われることに拠るようです。》

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