【現代語訳】

 女房たちが近くに伺候しているので、いつもの冗談も申し上げなさらずに、
「撫子を十分に鑑賞もせずに、あの人たちは立ち去ってしまったな。何とかして、内大臣にもこの花園をお見せ申したいものだ。世の中は常無いものと思うが、昔も、話の折りにあなたのことをお話しになったことが、まるで昨日今日のことのように思われる」とおっしゃって、その時のことを少しお口になさったのにつけても、感慨無量である。
「 撫子のとこなつかしき色を見ばもとの垣根を人や尋ねむ

(撫子の花のいつ見ても美しい色を見たら、人はもとの垣根を尋ねることだろう)
 このことが厄介に思われるので、『繭ごもり』させている(私の手元に引き籠めている)のだが、それも気の毒に思い申しています」とおっしゃる。姫君は、涙を流して、
「 山がつの垣ほに生ひし撫子のもとの根ざしをたれか尋ねむ

(山家の賤しい垣根に生えた撫子の、もとの素性など誰が尋ねたりしましょうか)」

人数にも入らないように言いなしてお答え申し上げなさった様子は、ほんとうにたいそう優しく若々しい感じである。
「来ざらましかば(もし来ないようなことあったならば)」とお口ずさみになって、ひとしお募るお心は、苦しいまでにやはり我慢しきれなくお思いになる。


《源氏が玉鬘とひそひそと喋っている間に、若者たちは帰ってしまったようです。

「撫子を十分に鑑賞もせずに、…立ち去ってしまったな」もないもので、そういう意図があったのなら、彼はあまりに彼らを無視して長々と喋りすぎました。もっとも、源氏にしてみれば、本命も穴馬もいない一行ですから、もともと、姫がいることだけを知らしめればよかったとも言えるので、眼中になかったのも仕方ないのかも知れません。

源氏は、玉鬘が実父に会いたいと思っていることは、当然承知していながら、内大臣との帚木の巻時代の思い出話をします。何か、自分への関心を引こうとして、または自分の力を見せつけようとしてでしょうか、意図的な話題に見えますが、どうでしょうか。

そういう話をしておきながら、源氏の歌は、彼をもしあなたに会わせたら、きっと母親の行く方を尋ねられることだろうな、という意味で、「このことが厄介に思われる」と言います。夕顔とのいきさつは、源氏としては語りたくない話のようです。彼には、彼女を死なせてしまったことが、失敗談として心の傷になっているといったところでしょうか。

『繭ごもり』は自分がこうして姫を抱え込んでいることを言うのですが、一方でそれを「気の毒に思う」という気持もあります。作者としては、源氏の心優しさを言おうとしているのでしょうが、願うことをさせずにおいてのこういう言葉は、ただの弁解めいていて、かえって嫌みな感じがするのですが、どうでしょうか。

そういう点で全く無力な玉鬘は、私など誰が捜してくれましょうと、ただ泣くしかありません。その姿がしおらしく、よけいに心を惹かれるのでした。

「来ざらましかば」は、「引歌があろうが未詳」(『集成』)で、分からないところのようです。「あなたの言うように内大臣がもし来ないようなことあったならば、その時はあなたは私のものにできるのだが(結局はそうもいくまい)」というような気持かというのは、私の思いつきです。》

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