【現代語訳】3

 お手紙は度々来る。けれども、空蝉は、この子もとても幼い、うっかり落としでもしたら、軽々しい浮き名まで背負い込むことになるだろう、そういう風評もうれしくないと思うと、幸せも自分の身分に合ってこそはと思って、心を許したお返事も差し上げない。ほのかに拝見した感じやご様子は、「本当に、並々の人ではなく素晴らしかった」と、思い出し申さずにはいられないが、「お気持ちにお応え申しても、今さら何になることだろうか」などと、考え直すのであった。

 源氏の君は、お忘れになる時の間もなく、胸がつまるようで恋しくお思い出しになる。悩んでいた様子などのいじらしさも、払い除けようもなく思い続けていらっしゃる。軽々しくひそかに隠れてお立ち寄りなさるのも、人目の多い所で、自分の不都合な振る舞いが人に知れるのではないかと思い、また相手にも気の毒である、と思案にくれていらっしゃる。

 

《空蝉は理性的な、かしこい女性です。もともと、一度は宮仕えも考えたこともあるような人が、一受領の妻になることをともかくも受け入れ、しかもそこを自分の定位置と考えようとしていきたくらいの人です。ですから、危なっかしい夢を見て、それに裏切られるだけではなく、「軽々しい浮き名まで背負い込むことになるだろう(原文・軽々しき名さへとりそへむ)」ことは、堪えられないことだと考えます。

「浮き名まで」と言ったのは、どうせ源氏にはすぐに忘れられる、その悲しみに加えて、の意味でしょう。「受領の妻風情であの源氏様とまともなお付き合いができると思ったようだ」と噂されることは、彼女にとってその地位と人柄を二重に貶められることになります。彼女は、そういう意味で、ただ控えめなだけではなく、誇りを持った人でもあるのです。

と、そこまで考えて、しかしやはり彼女にとっても源氏の姿は魅力的でした。理知だけの人でもありません。そういう源氏の魅力を十分に感じながら、それでもなお、と「考え直す」のでした。

源氏の方は、そういう女の仕草や様子に感じた魅力に捕らわれて、「心苦しくも恋しくもお思い出しになる」のでした。

「心苦しくも(原文も同じ)」が気になることばです。『評釈』は「気の毒な事をした」、『谷崎』は「やるせなく」といったように解していますが、『辞典』の載せる意味の「①胸がつまる。心も狂いそうである」が当たるのではないでしょうか。

人目を気にしながら、そして相手の女を思いやりながら、再び会えるよい折りを待っています。》

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