【現代語訳】2

和琴をお弾きになる姿はとても素晴らしく、はなやかで趣がある。

「これよりも優れた音色が出るのだろうか」と、親にお会いしたい気持ちが加わって、このことにつけてまでも、「いつになったら、こんなふうにくつろいでお弾きになるところを聞くことができるのだろうか」などと、思っていらっしゃった。
「貫河の瀬々のやはらた」と、たいそう優しくお謡いになる。「親避くるつま(親が遠ざける夫)」というところは、少しお笑いになりながら、ことさらにでもなくお弾きになる菅掻きの音は、何とも言いようがなく美しく聞こえる。
「さあ、お弾きなさい。芸事は人前を恥ずかしがっていてはいけません。『想夫恋』だけは、心中に秘めて、弾かない人があったようだが、遠慮なく、誰彼となく合奏したほうがよいのです」と、しきりにお勧めになるが、あの辺鄙な田舎で、何やら京人と名乗った皇孫筋の老女がお教え申したので、誤りもあろうかと遠慮して、手をお触れにならない。
「もう少しの間でもお弾きになってほしい。聞いて覚えることができるかも知れない」と聞きたくてたまらず、この事のために、お側近くにいざり寄って、
「どのような風が吹き加わって、このような素晴らしい響きが出るのでしょう」と言って、耳を傾けていらっしゃる様子は、燈の光に映えてたいそうかわいらしげである。

お笑いになって、
「耳聡いあなたのためには、身にしむ風も吹き加わるのでしょう」と言って、和琴を押しやりなさる。何とも迷惑なことである。

 

《琴の蘊蓄を語って、源氏は「楽曲を少しお弾きになる」のでした。その姿は言うまでもなく優雅でしたが、またその音もなかなかのものだったようで、玉鬘は、「現在では、あの内大臣に並ぶ人はいません」と、その源氏自身が折り紙を付けた父の内大臣の和琴は一体どれほどなのだろうと、ますます心引かれる思いが募ります。

「貫河の瀬々のやはらた」は催馬楽の一節で「親避くる夫」はそれに続く詞、「親が娘に言い寄る男を離し遠ざけることだが、源氏は、親の立場にありながら玉鬘に恋をしかけているので、にやにやしながら弾く」(『集成』)ということのようです。

源氏は玉鬘に弾かせようとしますが、「芸事は人前を恥ずかしがっていてはいけません」というのは、なかなかいい忠告で、『徒然草』第百五十段「能をつかんとする人・…」が思い出され、作者の鋭い人間観察が感じられます。

しかし彼女は田舎仕込みを恥ずかしがって手を出さず、源氏が弾いてくれるのをもっと聞きたくて「お側近くにいざり寄」ります。

「耳聡いあなたの…」は、玉鬘の耳を褒めた格好ですが、普段は私の言うことが少しも聞こえないようなのに、という皮肉、からかいも交じっているようです。

「和琴を押しやりなさる」は、さっき言ったように、玉鬘の方に、さあ、弾いてみよと「押しやった」ようにも思われますが、以下にその反応が書かれないところを見ると、脇に置いたということのようです。

そうすると「何とも迷惑なことである」は、源氏の言葉が、皮肉混じりに言い寄る内容になっていることに対しての、草子地であり、また玉鬘の気持ちでもあるのでしょう。》

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