【現代語訳】2

 翌日、小君をお召しになっていたので、参上しますと言って、姉にお返事を催促する。

「このようなお手紙を見るような人はいません、と申し上げなさい」とおっしゃると、にこっと微笑んで、

「間違いようもなくはっきりおっしゃらったのに。どうして、そのように申し上げられましょうか」と言うので嫌な気がして、すっかり話してしまわれたのだ、と思うと、つらいこと、この上ない。

「いいえ、ませた口をきくものではありませんよ。それなら、もう参上してはいけません」と不機嫌になられたが、

「お召しになるのに、どうして」と言って、参上した。

 紀伊守は、好色心をもってこの継母の様子をもったいない人と思って、何かとおもねっているので、この子も大切にして、連れて歩いている。

 源氏の君は、お召しになって、

「昨日一日中待っていたのに。やはり、私ほどには思ってくれないようだね」とお恨みになると、顔を赤らめて畏まっている。

「返事はどこに」とおっしゃると、これこれしかじかです、と申し上げるので、

「だめだね。呆れた」と言って、またも手紙をお渡しになった。

「お前は知らないのだね。わたしはあの伊予の老人よりは、先に知り合ったのだよ。けれど、頼りなく弱々しいといって、不恰好な夫をもって、このように馬鹿になさるらしい。そうであっても、お前は私の子でいてくれよ。あの頼りにしている人は、どうせ老い先短いだろう」とおっしゃると、「そういうこともあったのだろうか、大変なことだな」と思っているのを、おかしくお思いになる。

 この子をお離しにならず、内裏にも連れて参上などなさる。ご自分の御匣殿にお命じになって、装束なども調達させ、本当に親のようにお世話をなさる。

 

《小君は二人の間のことが「ぼんやりと分か」っている程度(前節)なので、姉の困り果てての拒否の返事を、恋の手管の一つとでも思ったのでしょうか、「にこっと微笑んで」よく承知していますよ、という態度を見せます。姉さんもなかなかやるものだ、というような気持ちでしょう。彼はむしろそれを応援するくらいの気持ちでいるようです。

源氏の小君への話は、前節での話が漠然とした言い方のように読めたのと比べると、ずいぶん直接的で、また伊予守批判も露骨です。彼の空蝉への執心がいっそう強まり、少し苛立っていることを感じさせます。

小君は、話を聞いて「大変なことだな(原文・いみじきことかな)」と思います。ちょっと意味が取りにくいところです。『谷崎』は「えらいお気の毒なことをしたものだ」と訳して、自分が返事を持ち帰らなかったことについて反省している、と解しているようですが、「いみじ」の語感と違うような気がします。むしろ源氏と姉との因縁の深さを聞かされて驚いた言葉と考えて、「畏れ多いことだ」といった意味と考えたいところです。そのように、言われたことを素直に信じるところを、源氏は「かわいい」と思ったというわけです。》


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