【現代語訳】
 夕闇のころが過ぎて、はっきりしない空模様も曇りがちで、物思わしげな宮のご様子も、とても優美である。内側からほのかに吹いてくる追い風も、さらに優れた殿のお香の匂いが加わっているので、とても深く薫り満ちて、予想なさっていた以上に素晴らしいご様子に、お心を惹かれなさるのだった。
 お口に出して思っている心の中を仰せ続けなさるお言葉は、落ち着いていて、一途な好き心からではなく、とても態度が格別である。大臣は、とても素晴らしいと、ほのかに聞いていらっしゃる。
 姫君は、東面の部屋に引っ込んでお寝みになっていらっしゃったのを、宰相の君が宮のお言葉を伝えに、いざり入って行く後についていって、
「とてもあまりに暑苦しいご応対ぶりです。何事も、その場に応じて振る舞うのがよろしいのです。むやみに子供っぽくなさってよいお年頃でもありません。この宮たちまでを、よそよそしい取り次ぎでお話し申し上げなさってはいけません。お返事をしぶりなさるとも、せめてもう少しお近くで」などと、ご忠告申し上げなさるが、とても困って、注意するのにかこつけて中に入っておいでになりかねないお方なので、どちらにしても身の置き所もないので、そっとにじり出て、母屋との境にある御几帳の側に横になっていらっしゃった。

 宮の何やかやの長いお話にお返事を申し上げなさることもなく、ためらっていらっしゃるところに、源氏がお近づきになって、御几帳の帷子を一枚お上げになるのに併せて、ぱっと光るもの、紙燭を差し出したのかと驚く。
 螢を薄い物に、この夕方たいそうたくさん包んでおいて、光を隠していらっしゃったのを、何気なく、何かと身辺のお世話をするようにして、急にこのように明るく光ったので、驚いて、扇をかざした横顔は、とても美しい感じである。
「驚くほどの光がさしたら、宮もきっとお覗きになるだろう。私の娘だとお考えになるだけのことで、こうまで熱心にご求婚なさるようだ。人柄や器量など、ほんとうにこんなにまで整っているとは、さぞお思いでなかろう。夢中になってしまうに違いないお心を、悩ましてやろう」と、企んであれこれとなさるのだった。ほんとうの自分の娘ならば、このようなことをして、大騷ぎをなさるまいに、困ったお心であるよ。

別の戸口から、そっと抜け出て、お帰りになった。

 

《兵部卿宮は、六条院東邸の玉鬘のいる西の対の廂の間に招かれています。夕暮れが過ぎて曇りがちの宵、こういう時は香もよく薫るのだそうで、姫のいる母屋の中からその好い香りが風に乗って香ってきます。それに宮の衣にたきしめた香の匂いも合わさって、えも言えないいい雰囲気ができあがりました。宮自身も、歓迎されているらしいこともあって、おおいに心を動かされて、中の姫に語りかけます。

 実はその奥の部屋には源氏が忍んでいて、侍女の宰相の君が膝行して姫に近づく衣擦れの音に紛れて、自分も姫に近づき、もっと端近に出るように促します。

しかたなく玉鬘が隔ての几帳のそばに出て、宮の言葉を聞いているとき、源氏がそっと近づいて、その几帳の帷子の一重を挙げました。帷子は几帳の垂れた布で、「表、裏からなる。…その裏を几帳の手(横木)に掛けるのであろう」と『集成』が言います。

その、帷子が薄く透けるようになったところに、「ぱっと光るもの」、宮が驚いてのぞき込むと、中におぼろげながら姫の姿が浮かび上がっていました。源氏がたくさんの蛍を放ったのでした。

全く見事な、夏の夜の絵になる光景ですが、源氏は、宮の姫への今の関心は源氏の娘だからに過ぎまいが、実際の容姿を見たらもっと思いを募らせるだろう、その惑う様子が見てみたい、と考えたのだといいますから、まったくもって「困ったお心であるよ」と言いたくなります。

『評釈』によれば、この趣向は作者の発案ではなく、「同趣の話は少なくない」そうで、いろいろ挙げられていますが、これはずいぶん手が込んでいます。

源氏は、やることだけやって、あっさり帰ってしまいました。彼が見たいのは、これから恋心に惑う宮の姿なのであって、今日の顛末ではありません。彼は、こういうことについては自分は既に当事者である資格を離れて、一応第三者のつもりなのです。》

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