【現代語訳】2
 ご自分ながらも、だしぬけで軽率なこととお分かりになるので、よくよくお考え直しになられて、女房も変に思うにちがいないので、ひどく夜を更かさないでお帰りになった。
「お嫌いになるのならば、とてもつらく思います。他の人は、こんなに夢中にはなりませんよ。限りなく底深い愛情なので、人が変に思うようなことはけっしてしません。ただ亡き母君が恋しく思われる気持ちの慰めに、何気ないことでもお話し申したい。そのおつもりでお返事などをして下さい」と、たいそう情愛深く申し上げなさるが、度を失ったような状態で、とてもとてもつらいとお思いになっていたので、
「まったくそれ程までにつれないお気持ちとは知りませんでしたが、これはまたこれ以上なくお憎みのようですね」と嘆息なさって、
「けっして、人に気づかれないように」とおっしゃって、お帰りになった。
 女君も、お年こそはおとりになっていらっしゃるが、男女の仲というものをご存知でないばかりではなく、少し男女の仲を経験したような人の様子さえご存知ないので、これより親しくなるようなことはお思いにもならず、まったく思ってもみない運命の身の上だったと嘆かわしくて、とても気分も悪いので、女房たちはご気分が悪そうでいらっしゃると、お扱いに困っている。
「殿のお心づかいが、行き届いて、もったいなくもいらっしゃいますこと。実のお父上でいらっしゃっても、まったくこれ程までお気づきなさらないことはなくお世話なさることはありますまい」などと、兵部なども、そっと申し上げるにつけても、ますます心外で、不愉快なお心の程をすっかり疎ましくお思いなさるにつけても、わが身の上が情けなく思われるのであった。

 

《前段の終わりで、「まるで昔の時と同じ心地がして、たいそう感慨無量である(原文・ただ昔のここちして、いみじうあはれなり)」とあった後、ここの冒頭で、急に源氏は我に返ったように、「よくよくお考え直しになられて、…ひどく夜を更かさないでお帰りになった」のでした。

源氏に考え直させたのは何だったのでしょうか。

ひたすら震えている娘がかわいそうになったのでしょうか。

あるいは、その間に書かれてあったのは、昔の夕顔のことだけでしたから、彼女のことを思い出したのが、それだったのでしょうか。

『評釈』は、前節の源氏の口説きを「これ以上のことをしようというのではない。ただこうしておそばに寄りふして、忍ぶに余るこの思いをわずかでも慰めたいと思う」という「いささか言いわけめいた」口説きとしていますが、それが本心とも思われません。

また、今後こういう場面が幾度かくり返されることから見ると、結局、作者が、読者に、この不自然な恋はどうなるだろうとはらはらさせて面白がっているのではないか、という気もするのですが、それもあまりに身も蓋もない読み方です。

結果的に、『評釈』が言うように、「今の源氏は、十年前の源氏ではない。いかなる心の葛藤にも耐えることのできるおとな、安心して見ていられる源氏でなければならない」ということで、作者はそういう意味での理想的な、しかしいささか微温的な姿に源氏を描くことになったのでしょうか。

ともあれ源氏は、思い直して、恨み言を残して早々に帰っていきます。

一方玉鬘の方は、思いがけない出来事に、今後のことを思ってすっかり困り果てて、すっかりふさぎ込んでしまいました。そんな彼女に、ずっとおそばで彼女を守ってきた乳母子の兵部が、事情を知らないままに、「実の父に会わせない源氏を恨み、源氏と衝突してのことかと思ったのであろう」(『評釈』)、源氏の庇護のありがたいことを話して聞かせて、不心得を諭すのでした。

誰にも話せない悩みを抱えて、彼女は、ひとり悶々とするばかりなのでした。》


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