【現代語訳】1

女君は、つらくて、どうしようかしらと思われて、ぶるぶる震えている様子もはっきり分かるが、
「どうして、そんなにお嫌いになるのですか。うまくうわべをつくろって、人に非難されないように配慮しているのですよ。何でもないようにお振る舞いなさい。いい加減にはお思い申していない思いの上に、さらに新たな思いが加わりそうなので、世に類のないような心地がしますのに、この懸想文を差し上げる人々よりも、軽くお見下しになってよいものでしょうか。とてもこんなに深い愛情がある人は、世間にはいないはずなので、気になてなりません」とおっしゃる。実にさしでがましい親心である。

 雨はやんで、風が竹に音を立てるころ、明るく照らし出した月の光の中で、美しい夜の様子もしっとりとした感じなので、女房たちは、こまやかなお語らいに遠慮して、お近くには伺候していない。
 いつもお目にかかっていらっしゃるお二方であるが、このようによい機会はめったにないので、言葉にお出しになったついでの、抑えきれないお思いからであろうか、柔らかいお召し物のきぬずれの音は、とても上手にごまかしてお脱ぎになって、お側にお臥せりになるので、とてもつらくて、女房もへんに思うだろうと、たまらなく思われる。
「実の親のもとであったならば、冷たくお扱いになろうとも、このようなつらいことはあろうか」と悲しくなって、隠そうとしても涙がこぼれ出し、とても気の毒な様子なので、
「そのようにお嫌がりになるのがつらいのです。全然見知らない男性でさえ、男女の仲の道理として、みな身を任せるもののようですのに、このように年月を過ごして来た仲の睦まじさから、この程度のことを致すのに、何の嫌なことがありましょうか。これ以上の無体な気持ちは、けっして致しません。一方ならぬ堪えても堪えきれない気持ちを、晴らすだけなのですよ」と言って、しみじみとやさしくお話し申し上げなさることが多かった。

まして、このような気配は、まるで昔の時と同じ心地がして、たいそう感慨無量である。

 

《「女君」は、仮にも父のすることと思っていたのに、思いがけない話と振る舞いにすっかり困ってしまいます。まさか大声を上げることも出来ません。しかし、「今にも泣き出しそうな顔つきで下を向いてじっと押し黙っている様子がいっそう源氏の気持ちをあおりたて」(『評釈』)ることになって、彼は懸命になって口説きます。「気がかりでなりません」というのは、「(他の男にあなたを託すのは)心配でなりません」(『集成』)という気持のようです。

折りから、「夏は夜。月の頃はさらなり」(『枕草子』)と言われた、好い頃おい、二人のむつまじい語り合いと思っている侍女たちは、「遠慮して、お近くには伺候していない」のでした。

とうとう源氏は着物を脱いで添い臥して、なお甘く語りかけます。

玉鬘には、ただただ「とてもつらくて、女房もへんに思うだろうと、たまらなく思われる」ばかりです。

源氏はなおも口説き続けます。終わりの「まして」は、いつにもまして、なのでしょう。こうして傍近くこの娘をかき抱いてみると、二十年ほど前の夕顔との逢瀬が思い出されて、いっそう思いが募ります。》

 

 一昨日は所用で広島に行き、時間ができたので、時節柄、平和公園に行きました。小学校の修学旅行以来です。

平日でしたが、たくさんの人で、慰霊碑の前には行列ができていました。

 その奧の原爆ドームを見に行きました。元安川のほとりから対岸のドームを見ると、思っていたよりも小さく、少し頼りなげに思えました。

ドームの上は何もなく、広く雨雲が拡がっているばかりです。そこに閃光が走った姿を思い描き、そして今ここにいる私を含む無数のあの人この人が焼けただれ、皮膚を引きずり、あえぎ、倒れ重なっている様子を思ってみました。

それは思いがけず現実的な迫力を持っていました。その絵を、私は今後、容易に忘れられないだろうと思います。

  一度現場を見るということは、大切なことだと感じます。

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