【現代語訳】
衣更ではなやかな衣裳に改まったころ、空の様子などまでが不思議とどことなく趣があって、ご用もなくていらっしゃるので、あれこれの音楽のお遊びを催してお過ごしになるにつけて、対の御方に人々の懸想文が多くなって行くのを、「思っていた通りだ」と面白くお思いになって、何かというとお越しになっては御覧になって、しかるべき相手にはお返事をお勧め申し上げなどなさるのを、気づまりなつらいこととお思いになっている。
兵部卿宮がまだ間もないのに恋い焦がれているような怨み言を書き綴っていらっしゃるお手紙をお見つけになって、にこやかにお笑いになる。
「子供のころから分け隔てなく、大勢の親王たちの中で、この君とは特に互いに親密に思ってきたけれども、ただこのような恋愛の事だけは、ひどく隠し通してきてしまったのだが、この年になってこのような風流な心を見るのが、面白くもあり感慨のあることだ。やはりお返事など差し上げなさい。少しでもわきまえのあるような女性なら、あの親王以外に、他に歌のやりとりをすべき人は思い浮かびません。とても優雅なところのあるお人柄ですよ」と、若い女性は夢中になってしまいそうにお聞かせになるが、恥ずかしがってばかりいらっしゃる。
右大将で、たいそう実直で、ものものしい態度をした人が、「恋の山には孔子の仆れ」という諺を地でいきそうな様子に恨み言を書いているのも、そのような人の恋として面白いと、全部を見比べて御覧になる中で、唐の縹の紙で、とても感じよく香の深くしみ込んで匂っているのを、たいそう細く小さく結んだ文がある。
「これは、どういう理由で、このように結んだままなのですか」と言って、お開きになった。筆跡はとても見事で、
「 思ふとも君は知らじなわきかへり岩漏る水に色し見えねば
(こんなに恋い焦がれていてもあなたはご存知ないでしょうね、湧きかえって岩間か
ら溢れる水には色がありませんから)」
書き方も当世風でしゃれていた。
「これはどうした文なのですか」とお尋ねになったが、はっきりとはお答えにならない。
《衣更えは四月、これから夏衣装になります。源氏は「ご用もなくていらっしゃる」ので、玉鬘の部屋に自分の企ての首尾を見にしばしばやって来ては、若い玉鬘に男との付き合いの有り様をあれこれと話して聞かせます。ずいぶんよくない趣味で、身近な、しかし本当に信頼しているというわけではない中年男からのこうした忠告めいた話は、彼女にして見れば、面倒以外のものではなく、「気づまりなつらいこととお思いになっている」のも無理ありません。
作者はそういう男性を、相変わらず理想の姿として肯定的な気持で書いているのでしょうか。あるいは、平素の道長の振る舞いなどを思い浮かべながら、まったく、殿方は女の気持ちも知らないで、ということなのでしょうか。
そんな中で、玉鬘に対する立候補者の、主立った三人が紹介されます。
当面、兵部卿の宮が第一候補といった趣で、源氏の期待していたとおり、積極的に動いているのですが、肝心の玉鬘の方が、どうもそういう気持ちではないようです。
源氏は、たびたび玉鬘の所にやって来て、届いた恋文を眺めて面白がり、さらに話を面白くすべく、適当と思われる人を選んで返事を書くように勧めます。腹に一物ありながら、そういうことをするのですから、やはり、あまり気持ちのいい趣味とは言えません。
二番手の候補者は右大将で、ここで初めての登場です。ここでは「たいそう実直で、ものものしい態度をした人」と紹介され、孔子の諺まで引き合いにしていますが、例えば夕霧の生真面目さとは、また異なったタイプの人のようです。
三番手はまだ誰か名前は分かりませんが、手紙の様子からして、これもなかなかの色好みのようです。もっとも、読者はすでに内大臣の子息たちが熱を上げていることを知っていますから、その中の誰かではないかという見当は付きます。玉鬘にとっては、その人と大変言いにくい人であるわけで、黙ってしまうしかありません。》