【現代語訳】

 今日は、中宮の御読経の初日なのであった。そのままお帰りにならず、めいめい休息所をとって、昼のご装束にお召し替えになる方々も多くいた。都合のある方は、退出などもなさる。
 昼のころに、皆そちらの邸に参上なさる。大臣の君を始めとし申し上げて、皆席にずらりとお着きになる。殿上人なども残る人なく参上なさる。多くは大臣のご威勢に後押しされなさって、高貴で、堂々とした立派な御法会の様子である。
 春の上からのお志として、仏に花をお供え申し上げさせなさる。鳥と蝶とに衣裳を着分けた童女八人は、器量などを特にお揃えさせなさって、鳥には、銀の花瓶に桜を挿し、蝶には、黄金の瓶に山吹を、同じ花でも房がたいそうで、世にまたとないような色艶のものばかりをご用意おさせになった。
 東南の御前の山際から漕ぎ出して、中宮の御前の庭先に出るころ、風が吹いて瓶の桜が少し散り交う。まことにうららかに晴れて、霞の間から現れ出たのは、とても素晴らしく優美に見える。わざわざ楽人たちの平張なども移させず、御殿に続いている渡廊を、楽屋のようにして、臨時に楽人の椅子をいくつもご用意なさっている。
 童女たちが御階の側に寄って、幾種もの花を奉る。僧に香を配る人がその花を取り次いで、閼伽棚にお加えさせになる。

 

《「御読経」というのは、大般若経を講ずる日のことで、四日間にわたる行事、高位の人がそれぞれに行う催し、と『集成』が言います。

そして今日はその中宮主催のものが行われ、その初日というわけです。

東南の邸での園遊だけでは、作者としても、また源氏としても均衡を欠くということなのでしょうか、それが終わって今度は西南の邸での賑やかな催しが語られます。

昨日、中宮が屈指の女房たちを紫の上のもとに送ったのに対して、今日は紫の上の方から「鳥と蝶とに仕分けた童女八人は、器量などを特にお揃えさせなさって」、同じように池の船で送られてきます。

その船が「霞の間から現れ出た」という、その広さに、現代人は驚かずにはいられません。そう言えば中宮の女房たちの船が春の邸に入ったとき(第一段2節)にも「あちらこちら霞がたちこめている梢々は錦を張りめぐらしたようで」とあったことを思い出します。広いと言っても百二十メートル四方の邸では、現実には少々無理ではないかと思われますが、作者としては、春の光景を語るのに霞は欠かせないと考えたのでしょう。私たちとしてはまさに絵のような光景を思い描けばいいわけです。

また、初めのところ、「そのままお帰りにならず」とありながら「都合のある方は、退出などもなさる」とあって、変なのですが、一時退出するということで、その人達も含めて「昼のころに、皆そちら(中宮)の邸に参上なさる」ということなのでしょうか。

「都合のある方は…」は、日常的に当然のことで、書き加える意味がほとんどなく、ない方がよほどすんなり読めるのですが、この作者は、こういうところは、大変律儀に考える人のようで、例外の人もいたことを書いておかないと、嘘を書いているようで気がすまなかったのでしょう。

いささか遅いだけにいっそう爛漫と咲いた春の花が優雅優美に届けられた邸では、渡廊いっぱいに並んだ楽人たちが迎えます。「わざわざ楽人たちの平張なども移させず」は、普通ならこういう時は昨夜の東南の邸で楽人用に使われた平張を移してくるのだそうですが、それをしないで、自前で用意したということ、源氏の気配りを表し、あわせて作者としては場面の対照を示しているのでしょう。》

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