【現代語訳】

 夜も明けてしまった。朝ぼらけの鳥の囀りを、中宮は築山を隔てて、うらやましくお聞きあそばすのであった。いつも春の光がいっぱいに満ちている六条院であるが、これまでは思いを寄せる姫君のいないのが残念なことにお思いになる方々もいたが、西の対の姫君が何一つ欠点のないご器量で、大臣の君も特別に大事にしていらっしゃるご様子などがすっかり世間の評判となって、ご予想どおりに心をお寄せになる人々が多いようである。
 自分こそ相応しいと自負なさっている身分の方は、それぞれにつてを求めては、ほのめかし、お手紙をお出し申し上げるなさる方もあったが、とても口には出せずに心中思い焦がれている若い公達などもいるのであるであろう。その中で、事情を知らないで、内の大殿の中将などは、思いを寄せてしまったようである。
 兵部卿宮は宮で、長年お連れ添いになった北の方もお亡くなりになって、ここ三年ばかり独身で淋しがっていらっしゃったので、気兼ねなく今は意中をお示しになる。
 今朝も、とてもひどく酔ったふりをして、藤の花を冠に挿して、あだめいてはしゃいでいらっしゃるご様子がたいそうおもしろい。大臣も、お考えになっていたとおりになったと、心の底ではお思いになるが、しいて知らない顔をなさる。
 ご酒宴の折に、ひどく苦しそうになさって、
「内心に思うことがございませんでしたら、逃げ出したいところでございます。とてもたまりません」とお杯をご辞退なさる。
「 紫のゆゑに心をしめたれば淵に身投げむ名やは惜しけき

(あなたにゆかりのある方に思いを懸けていますので、淵に身を投げても名は惜しく

もありません)」
と、大臣の君に同じ藤の插頭を差し上げなさる。たいそうにやにやなさって、
「 淵に身を投げつべしやとこの春は花のあたりを立ち去らで見よ

(淵に身を投げるだけの価値があるかどうか、今年の春は、花の近くを離れないでよ

く御覧なさい)」
と無理にお引き止めなさるので、お帰りになることもできないで、今朝の御遊びは、いっそう面白くなる。

 

《華やかで賑やかな夜が明けました。隣の邸で中宮は、夜通しその様子を感じていたのでしょうか、うらやましくお思いだったと言います。彼女自身も、これは参ったとお思いだったようです。

さて、「これまでは思いを寄せる姫君のいないのが残念なこと」だけが、唯一の不足だった六条院が、玉鬘のお披露目が終わって(初音の巻第三章第一段)、新たな賑わいの場となります。

早速、何人かの公達がモーションを起こし始めるのを、源氏は、我が意を得たりと、にやにやしながら窺っています。

まずは蛍兵部卿宮が、名乗りを上げました。この人について『人物論』所収・田坂憲二著「蛍宮をめぐる諸問題」から、少し長いですが、引いておきます。

「(絵合の巻で)当代を代表する風流人として蛍宮はその姿を現すのである。そしてこれ以降もこの傾向は一貫して変わらず、…源氏と肩を並べる風流人としての姿を余すところなく披露する。…しかしてその役割は、…物語の前半部分においては頭中将が果たしていたものであった。しかし頭中将は澪標巻の権中納言時代から、はっきりと源氏と政治的立場を異にするようになり、…かつて頭中将の担っていた役割が蛍宮に振り当てられたと考えるべきであろう」。

その兵部卿宮は、今朝は、玉鬘を十分に意識しながらでしょう、まずは粋人らしく「ひどく酔ったふりをして、藤の花を冠に挿して、あだめいてはしゃいでいらっしゃる」のですが、その姿がさすがに「たいそうおもしろい(原文・いとをかし)」のでした。ここを『谷崎』は「そのおかしさ。」と訳していますが、そういう気持ちも含めて、見ている者も楽しくなるような、粋な振る舞いだったということでしょう。

源氏は、知らぬ振りをしながら、その様子をかねての期待どおりだ(玉鬘の巻第四章第八段)と満足しながら、盃を勧めます。

宮は、それを辞退しながら、「思うことがあるのですが、飲み過ぎて苦しく、帰らねば。実は血縁のおありの方のことが気になって」と杯を返します。心得て、源氏は「本気なら、もう少しいてみなさいよ」と引き留めて、今朝の遊びもまた、ひときわ引き立つことになったのでした。

源氏の目論見が思い通りに功を奏したという格好です。》

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