【現代語訳】3

 「すべて男も女も未熟者は、少し知っている方面のことをすっかり見せようと思っているのが、困ったものです。

 三史五経といった学問的な方面を、本格的に理解しようとするのは、かわいげのないことですが、女だからといって、世の中の公私の事々につけて、まったく知らず、通じていなくてよいということがありましょうか。わざわざ勉強しなくても、ちょっと才能のあるような人ならば、耳から目から自然と入って来ることが多いはずです。

 だからといって、漢字をさらさらと走り書きして、相応しくない女どうしの手紙文に、半分以上書き交ぜているのは、ああ何と厭味な、この人が女らしかったらいいのに、と思われます。自分ではそんなにも思っていないのでしょうが、自然とごつごつした声に読まれなどして、ことさらめいて感じられます。上流の女性にも多く見られることです。

 和歌を詠むことを鼻にかけている人が、そのまま和歌のとりことなって、趣のある古歌を初句から取り込んだりして、相応しからぬ折々に詠みかけて来ますのは、不愉快なことです。返歌しないと気が利かず、出来ないような人は体裁が悪いでしょう。

 しかるべき節会など、例えば五月の節会に急いで参内する朝に、落ち着いて分別などしていられない時に、素晴らしい菖蒲の根にちなんで歌を詠みかけてきたり、重陽の節会の宴会のために、何はともあれ難しい漢詩の趣向を思いめぐらしていて暇のない折に、菊の露によそえて詠みかけてきたり、というように、相応しからぬことに付き合わせ、またそういう場合ではなくとも、後から考えればなるほどとおもしろくもしみじみとも思うはずのことが、その折りに合わず目に入らないのを察しもせずに詠んで寄こすのは、かえって気がきかないように思われます。

万事につけて、どうしてそうするのだろうか、そうしなくとも、と思われる場合や時々を判断できない程度の分別では、気取ったり風流めかしたりしないほうが無難でしょう。

 総じて、心の中では知っているようなことでも知らない顔をして、言いたいことも一つ二つは言わないでおくのが良いというものでしょう」

と言うにつけても、源氏の君は、お一方の御様子を、胸の中に思い続けていらっしゃる。

「この結論に足りないことまた出過ぎたところもない方でいらっしゃるなあ」と、比類ない方だと思うにつけても、ますます胸がいっぱいになる。
 どういう結論に達するというでもなく、最後は聞き苦しい話に落ちて、夜をお明かしになった。

 


《式部丞の笑い話を受けて左馬頭が再び登場してまとめをします。

始めは女性が漢文の素養を露わにすることの不自然さについてですが、それをことさらに「上流の女性にも多く見られることです」と結んでいるところは、やはり特定の人を意識しているように感じさせます。

 先に書いたように、ここで『評釈』は、定子皇后母・高内侍説を述べていますが、彼女は『大鏡』第四「内大臣道隆」の章に「本格的な漢詩人で、帝の前での詩席の折りには、漢詩を献上したとのこと。いい加減な男性より優れているといううわさでした」と書かれている人です。これは定子一派としては大変な自慢であったでしょうが、それだけにライバル彰子中宮側としてはおもしろくなかったに違いありません。中宮付きの女房である作者としては十分意識した人だと考えられます。女房たちが集まってここを読む時は、みんなで溜飲をさげたでことしょう。

そこから話は、歌詠みを得手とする人が、相手の都合も考えずに人に歌を詠みかける迷惑を語って、自分の得手をひけらかすことの気のきかなさを批判します。

紫式部は、普段は控えめで目立たないように努めていた人のようですから、これは場を借りて自身を自負とともに語っているのだとも思われます。

さて、ともかくも「雨夜の品定め」はここで終わりますが、この三人によって語られた話でこの物語を見通した女性論をまとめると、どういうことになるでしょう。

それを『研究』が「まめやかな心と、あわれを知る心と、賢い知性的な心の三者が、この物語における人間の本義の要綱となる」と言っています。  
 この本は少し道学的な捉え方が強すぎるという気がしますが、この三つの心がここで考えている人格のベースとなるであろうということは、考えてもよいことのように思われます。


  長い長い話の挙げ句、読者にとっては突然ですが、藤壺女御が思い出され、浮かび上がってきます。

左馬頭が自分の一番得手とする分野の話を得意になって話し、式部丞が真偽のあやしい座興の笑い話を披露して、頭中将が二人を囃しながら、どこかで今度は自分の話として語ろうと思ってか、乗り出して聞いている間、源氏は、他の三人は知らないままに、ずっと彼女のことを思い浮かべ、その幻と語られる女性とを比べながら話を聞いていたわけです。源氏にとってこの三人の話は、一人全く異なった意味を持って聞かれていたわけです。》

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