【現代語訳】2
 紅梅のたいそうくっきりと紋が浮き出た葡萄染の御小袿と、流行色のとても素晴らしいのは、こちらのお召し物、桜の細長に艶のある掻練を取り添えたのは、姫君の御料である。
 浅縹の海賦の織物で、織り方は優美であるが、鮮やかな色合いでないものに、たいそう濃い紅の掻練を付けて、夏の御方に、曇りなく明るくて、山吹の花の細長は、あの西の対の方に差し上げなさるのを、紫の上は見ぬふりをして想像なさる。内大臣がはなやかでああすっきりしていると見えるけれども、優美に見えるところがないのに似ているようだと、となるほどと推し量られるのを、顔色にはお出しにならないが、殿がご覧やりなさると、関心は並々でない。
「いや、この器量比べは当人の腹を立てるに違いないことだ。美しいといっても、衣裳の色には限りがあり、人の器量というものは、劣っていても、また一方でやはり奥底のあるものだから」と言って、あの末摘花の御料に、柳の織物で由緒ある唐草模様を乱れ織りにしたものも、とても優美なので、人知れず苦笑されなさる。
 梅の折枝に蝶や鳥が飛び交う唐風の白い小袿に、濃い紫の艶のあるのを重ねて、明石の御方にということで、気品があることが思い遣られて、紫の上は憎らしいとお思いになる。
 空蝉の尼君に、青鈍色の織物のたいそう気の利いたのを見つけなさって、ご自分のお召し物にある梔子色の御衣で、聴し色なのをお添えになって、同じ元日にお召しになるようにとお手紙をもれなくお回しになる。なるほど、似合っているのを見ようというお心なのであった。

 

《さてそうして「衣配り」です。源氏は、一斉に粋を懲らした衣裳を纏わせて、その日一度に「似合っているのを見ようというお心なの」です。華やかな企画で、彼の春を鮮やかに彩るはずです。配られた衣裳と、それに対する紫の上の反応の目に留まるコメントを簡単に整理しましょう。

・紫の上・「紅梅のたいそうくっきりと紋が浮き出た葡萄染の御小袿」と「流行色のとても素晴らしいの」

・明石の姫君・「桜の細長に艶のある掻練を取り添えたの」
・夏の御方(花散里)・「浅縹の海賦の織物で、織り方は優美であるが、鮮やかな色合いでないものに、たいそう濃い紅の掻練」
・西の対の方(玉鬘)・「曇りなく明るくて、山吹の花の細長」~「明るくてぱっとした黄系統」(『評釈』)の衣裳から紫の上は内大臣同様に「すっきりしているけれども、優美に見えるところがない」方なのだろうと想像を巡らす。

・末摘花・「柳の織物で由緒ある唐草模様を乱れ織りにしたもの」~「本人とはずいぶんかけ離れて、なまめいたもの」(『評釈』)と感じて笑ってしまう。
・明石の御方・「梅の折枝に蝶や鳥が飛び交う唐風の白い小袿に、濃い紫の艶のあるのを重ねて」~「衣装から想像して気品があるのを、…憎らしい」と思う。
・空蝉の尼君・「青鈍色の織物でたいそう気の利いたの」と「梔子色の御衣で、聴し色なの」

以上七人です。こうしてみると、中宮が入っていないこと、空蝉が入っていることが目につきます。

「同じ元日にお召しになるように」と渡したもので、中宮は正月は宮中でしょうから、別枠ということなのでしょうか。

空蝉の出家は蓬生の巻末にありましたが、『集成』が「源氏の庇護の下にあること、ここにはじめて見える。二条の院の東の院に居る」と言います。末摘花と一緒に居ることになります。

末摘花については、『集成』も「似合わぬ色合いのものをわざと選ぶ趣」と言います。当の末摘花は、おそらくそれが自分に不似合いだなどとは思わず、従ってまたそういう源氏の意図にも全く気づかずに、ありがたくいただくのでしょう。ずいぶんひどい扱いで、源氏の人間性を疑いますが、こういう感覚もまた、彼らにとっては当然のものだったのでしょう。

語られる順番が、そのまま序列であると『評釈』が言いますから、そうすると、六条院での扱いは、明石の御方が最後で、末摘花以下です。こういう場合、結局は出自の差なのでしょう。源氏も、いろいろ悪ふざけをしながらも、その程度には末摘花を重んじている、とも言えて、少しほっとします。

ところで、ここに列挙された衣裳(織物)は、まさか現実の誰かが纏っていた物を思い出して語ったというわけではないでしょうから、こういう品があったらさぞ見事だろうと作者が想像で描き出したものなのでしょう。そしてこう書いたものを読む女房たちをなるほどと思わせたことでしょうから、大変なセンスだったと言えます。》

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