【現代語訳】
 見苦しくはなくていらっしゃったのを嬉しくお思いになって、紫の上にもお話し申し上げなさる。
「ある田舎者の中で暮らしてきたので、どんなにかわいそうな様子だろうかと見くびっていたのでしたが、かえってこちらが恥ずかしくなるくらいに見える。このような姫君がいるのだと、何とか世間の人々に知らせて、兵部卿宮などがこの邸の内に好意を寄せていらっしゃる心を騒がしてみたいものだ。風流人たちが、至極まじめな顔ばかりしてここに見えるのも、こうした話の種になる女性がいないからなのだ。精一杯世話を焼いてみたいものだ。知っては平気ではいられない男たちの心を見てやろう」とおっしゃると、
「変な親ですこと。まっさきに人の心をそそるようなことをお考えになるとは。よくありませんよ」とおっしゃる。
「ほんとうにあなたをこそ、今のような気持ちだったならば、そのように扱って見たかったのですがね。まったく心ない考えをしてしまったものだ」と言ってお笑いになると、顔を赤くしていらっしゃる、とても若く美しい様子である。硯を引き寄せなさって手習いに、
「 恋ひわたる身はそれなれど玉かづらいかなる筋を尋ね来つらむ

(夕顔をずっと恋い慕っていたわが身は同じなのだが、その娘はどのような縁でここ

に来たのであろうか)
 ほんとうに、まあ」と、そのまま独り言をおっしゃるので、「なるほど、深くお愛しになった女の忘れ形見なのだろう」と御覧になる。

 

《他人の娘であることを承知で、その親が知らないことをいいことにして無断で引き取り、それを、死なせてしまったかつての自分の最愛の女性の娘として、幸せにしてやろうというならともかく、その姫君を餌に、六条院を訪れる貴公子たちの心を騒がせてみたい、と源氏は考えました。

『評釈』は「そういういたずらを楽しむ年になったのである」といいますが、随分な悪趣味に思われます。

紫の上が「よくありませんよ(原文・けしからず)」と言うのが、彼女の気持ち以上にもっともです。

ただ、このことは前に右近にも、連れて来させる話をしている中でもしていて(第三段)、右近もそれを承知の上で「ただお心のままにどうぞ」と言っていましたから、そういういきさつはともかく、またそれが源氏にとってはただのいたずらでも、六条院で注目を浴びる花形になるのなら、女性としての幸福を与えることになるのだと、当時は、女性の目からも見えたのでしょう。

してみると、紫の上の「けしからず」も、姫のことを思ってではなく、兵部卿宮(源氏の弟)を初めとする貴公子たちについてのことなのでしょうか。考えてみれば、源氏に、「あなたをこそ、…そのように扱って見たかった」と言われて、赤くなっているのは、あなたにはそれだけの魅力があると言われたのだと考えるから、なのでしょう。

そういう立場に姫はいるというふうに考えるべきところなのでしょう。

作者も、この姫に悪いというような書き方はどこにもしていません。

源氏は、「いたずら」の種にするとは言え、あの夕顔の娘がそれに相応しい姫として自分のもとにやって来ることになったについて、改めて宿縁を感じて、歌を詠みます。この巻の名は歌によっていますし、この歌によって後世、この姫を玉鬘と呼び習わします。》


にほんブログ村 本ブログ 古典文学へにほんブログ村 教育ブログ 国語科教育へにほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ