【現代語訳】
豊後介が、日が暮れてしまうからと慌てて御灯明の用意を済ませて、急がせるので、かえって落ち着かない気がして別れる。右近が「ご一緒しませんか」と言うが、お互いに供の人々が不思議に思うに違いないので、この豊後介にも事情さえ説明することができない。自分も相手も格別気を遣うこともなく、皆外へ出た。
右近がこっそりと注意して見ると、一行の中にかわいらしい後ろ姿の方があって、ごく粗末なお忍びの旅姿で、四月ころの単衣のようなものの中に着込めていらっしゃる髪の透き影が、とてももったいなく立派に見える。おいたわしく悲しく見申し上げる。
少し歩きなれている右近は、先に御堂に着いたのであった。この姫君を介抱するのに難渋しながら、初夜の勤行のころにお上りになる。とても騒がしく人々が参詣で混み合って大騒ぎである。右近の部屋は仏の右側の近い間に用意してある。姫君一行の御師は、まだなじみが浅いためであろうか、西の間で遠い所だったのを、
「もっと、こちらにいらっしゃいませ」と、探し合って言ったので、男たちはそこに置いて、豊後介にこれこれしかじかと説明して、こちらにお移し申し上げる。
「このように賤しい身ですが、今の大臣殿のお邸にお仕え致しておりますので、このように忍びの旅でも、無礼な扱いを受けるようなことはありますまいと心丈夫にしております。田舎びた方には、このような所では、たちの良くない者どもが侮ったりするのも、恐れ多いことです」と言って、話をもっとしたく思ったが、仰々しい勤行の声に紛れ、騒がしさに引き込まれて、仏を拝み申し上げる。右近は、心の中で、
「この姫君を、何とかしてお捜し申し上げたいとお祈り申して来たが、何はともあれこうしてお逢い申したので、今は願いのとおり、大臣の君がお捜し申したいというお気持ちが強いようなので、お知らせ申して、お幸せになりますように」などとお祈りしたのであった。
《参詣の作法や仕方がよくわからないので、読みにくいのですが、この宿は、今夜泊まる宿ではなく、単に休憩に寄ったということのようです。次の節に、豊後介一行は三日間参籠するつもりだったと書かれています。
今夜がその第一夜で、この椿市の宿で灯明などの用意をして、日の暮れないうちに、さらに一里ほど奧の初瀬寺に入ろうと急ぎます。慌ただしい折で、乳母は豊後介にまだ十分な説明をしないままです。
二組の一行はお互いに何となく気心が知れて「格別気を遣うこともなく、皆外へ出た」ので、右近は、相手の一行の中に姫の姿を見ることができました。それは「四月ころの単衣のようなものの中に着込めていらっしゃる髪」(単衣の着物を後ろ髪の上に羽織っているので、髪がすけて見える姿)が美しい人でした。
前に九条の家に入った頃「秋に移っていくにつれて」(第三章第一段)とありましたから、四月(初夏)の頃に着る単衣を羽織っているというのは、姫の今の境遇を物語っています。そもそもが「ごく粗末なお忍びの旅姿」であって、気の毒な様子に、ひそかに右近の心は傷むのでした。
大変なお参りの人で混雑する中で、勤行が始まりました。何度も来て場を心得ている右近は、乳母たち一行がつての薄いままに端近にいるのを見つけて、こちらへと招いたので、乳母は、息子にこの時初めて事情を説明して、男たちはそこに残して、女たちだけ、といっても多分三人の女性、姫と乳母と三条とでやって来ました。
話をしたいのですが、勤行の声が大きく、それに引き込まれてしまいました。