【現代語訳】

 九月になると、紅葉があちこちに色づいて、中宮のお庭先は何ともいえないほど素晴らしい。風がさっと吹いた夕暮に、御箱の蓋に色とりどりの花や紅葉をとり混ぜて、こちらに差し上げになさった。
 大柄な童女が、濃い紫の袙に紫苑の織物を重ねて、赤朽葉の羅の汗衫を着て、とてももの馴れた感じで廊や渡殿の反橋を渡って参上する。格式高い儀礼であるが、童女の容姿の美しいのを捨てがたくてお選びになったのであった。そのような所にお仕え馴れているので、立居振舞、姿つきが他家の童女とは違って、好感がもてて風情がある。お手紙には、
「 心から春まつ園はわがやどの紅葉の風をつてにだにせよ

(お好みで春をお待ちの庭では、せめてこちらの紅葉を風の便りにでも御覧下さい)」
 若い女房たちがお使いを歓待する様子も風雅である。
 お返事には、この御箱の蓋に苔を敷き、巌などの感じを出して、五葉の松の枝に、
「 風に散る紅葉はかろし春の色を岩根の松にまけてこそ見め

(風に散ってしまう紅葉は心軽いものです、春の変わらない色をこの岩に根をはった

松の緑を御覧になってほしいものです)」
 この岩根の松も、よく見ると素晴らしい造り物なのであった。このようにとっさに思いつきなさった趣向のよさを感心して御覧あそばす。御前にいる女房たちも褒め合っていた。大臣は、
「この紅葉のお手紙は、何とも憎らしいですね。春の花盛りにこのお返事は差し上げなさい。この季節に紅葉を貶すのは、龍田姫がどう思うかということもあるので、ここは一歩退いて、花の美しい頃にこそ、強いことも言えるでしょう」と申し上げなさるのも、とても若々しくどこまでも素晴らしいお姿で魅力にあふれていらっしゃる上に、前にもまさる理想的なお邸で、お手紙のやりとりをなさる。
 大堰の御方は、

「このように御方々のお引っ越しが終わってから、人数にも入らない者はいつか分からないようにこっそりと移ろう」とお考えになって、十月にお引っ越しになるのであった。お部屋の飾りやお引っ越しの次第は他の方々に劣らないようにして、お移し申し上げなさる。姫君のご将来をお考えになると、万事についての作法もひどく差をつけず、たいそう重々しくお扱いなさった。

 

《中宮が下がってこられて、紫の上と隣同士ともなれば、「なにごともなくすむはずはない。さっそくに、一趣向」(『評釈』)あるのでした。

秋の盛り、中宮の屋敷は今が一番のよい季節です。そこで、あなたの寂しい春の屋敷に、せめてこの秋の素晴らしさをちょっとわけてあげましょう、と「ずいぶん思い切った歌」(同)を詠み掛けます。

返した歌も「ずいぶんてきびしい」(同)ものでした。しかし双方とも相手の見事さを十分に認め合ってことのようで、相手の使いや添え物に対する「趣向のよさ」に、それぞれに感嘆しています。「紫の上は、一国の皇后にたいし、一歩も引かないほどの勢力になっていた」(同)のです。

この二人は夫人と娘という間柄ですが、年齢は紫の上が一つ年上なだけで、姉妹のような間柄と考えればいいでしょう。こういう人たちによる、こういう危ういとさえ思える丁丁発止のやり取りが、のどかな貴族社会にワサビのような刺激を与えて、社交の他には何もない、単調とも言える日常生活のエネルギーとなったのでしょうか。紫の上の正式の返歌は、後に胡蝶の巻(第一章第五段)で送られることになります。

さて、明石の御方もそういう中に加わらなければなりません。ずっと以前から幾度も源氏に呼ばれながらぐずぐずとためらっていた彼女も、とうとう決心したようです。特別の屋敷まで造られて、さあ来なさいと言われれば、もう引っ込んでいることはできなかったのでしょう。

別の見方をすれば、この人もまた、中宮とは違う方向で、自分の意志を持っていて、源氏の言いつけを容易には聞かない人なのです。

こうして、結局は源氏の「一度にとお決めになった」ようにはいきませんでしたが、それぞれに異なる人柄を見せながらの転居がなされて、ともかくも六条院は全ての主人を迎えて、源氏の栄華のシンボルとなり、夕霧の問題が残ってはいますが、とりあえず、源氏にとって、読者にとって、めでたしめでたし、ということになりました。

そして、次から物語はしばらく別の方向に向かうことになります。》

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