【現代語訳】

 冬、神事なども停止とあって物寂しく、所在ない気持をもてあまして、五の宮にいつものようにお伺いをなさる。雪がちらついて風情ある黄昏時に、優しい感じに着馴れたお召し物に、いつもよりもいっそう香をたきしめなさって、念入りに身ごしらえをして一日をお過ごしになったので、いよいよもってなびきやすい人はどんなにかと見えた。

さすがに紫の上にお出かけのご挨拶は申し上げなさる。
「女五の宮がご病気でいらっしゃるというのを、お見舞い申し上げようと思いまして」と言って、軽く膝をおつきになるが、振り向きもなさらず、姫君をあやして素知らぬふうでいらっしゃる横顔が、ただならぬ様子なので、
「妙にご様子がよそよそしくなられたこの頃ですね。悪いことはしていませんよ。『塩焼き衣』ではないが、あまり馴れなれしくなって、珍しくなくお思いかと思って、家を空けていましたが、またどのようにお考えになってか」などと申し上げなさると、
「『馴れゆく(は憂き世なればや)』のは、本当にいやなことが多いものですね」とだけ言って、顔をそむけて臥せっていらっしゃるのは、そのまま見捨ててお出かけになるのも気が進まないが、宮にお手紙を差し上げてしまっていたので、お出かけになった。
「このようなこともある夫婦仲だったのに、安心しきって過ごしてきたことだわ」とお思い続けになって、臥せっていらっしゃる。鈍色めいたお召し物であるが、色合いが重なって、かえって好ましく見えて、雪の光にたいそう優美なお姿をお見送りになって、
「ほんとうに心がこれ以上離れて行ってしまわれたならば」と、堪えがたくお思いである。
 御前駆なども内々の人ばかりで、
「宮中以外の外出は、億劫になってしまったよ。桃園宮が心細い様子でいらっしゃるのも、式部卿宮に長年お任せ申し上げていたが、これからは頼むなどとおっしゃるのももっともなことで、お気の毒なので」などと、人々にも弁解なさるが、
「いやはや、ご好心が変わらないのは、惜しい玉の瑕のように見える。」
「よからぬ事がきっと起こるだろう。」などと、呟き合っていた。

 

《冒頭の「冬」は、「夕」とする本があるようですが、『集成』に依りました。すぐに「いつものように」とありますから、その方が分かりやすく思われます。前節の秋から、冬に移ったのです。

 折から藤壺の諒闇とあって十一月に多いさまざまな行事も行われず、所在なさもあって、朝顔の君訪問が重なりました。この頃にはもう紫の上にいくらかのことを話してしまっているのでしょうか、断って出かけなければならないのは、つらいところのように思われますが、源氏としては、紫の上は別格という気持です。

「軽く膝をおつきになるが(原文・ついゐたまへれど)」と、なかなか丁寧な挨拶で、取りあえずは五の宮を尋ねるという口実です。

しかし紫の上はこれまでの相手とは違うレベルの人だと思うと、穏やかではいられず、見向きもしないといった態度です。「姫君をあやして素知らぬふう」という姿は、いかにもそれらしく、目に見えるようですが、姫が実の娘でないだけに、隠微な部分がなく清潔感が感じられます。

源氏の「塩焼き衣」は、「須磨のあまの塩焼き衣なれ行けば」という歌を引いたもので、「あま馴れなれしくなって…」という洒落た言い回しです。こんな時にまで軽口のような言い回しを考えるなど、ほとんどからかっているようにさえ思われて、しらじらしく感じられますし、「珍しくなくお思いかと思って、家を空けていました(原文・見だてもなくおぼさるるにやとて、とだえ置く)」などという言葉も、夫婦の間では冗談としか思えないのですが、当時は実際にまじめな言い訳として通用する話だったのでしょうか。

出て行く源氏を後から見送りながら、紫の上は不安をいっそう募らせます。

源氏は気が咎めて、従者に言わずもがなのもっともらしい弁解をしますが、もはや従者もまともには聞かず、それどころかかなり目をひそめているようです。》

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