【現代語訳】

 西の対にお渡りになって、すぐにもお入りにならず、たいそう物思いに耽って端近くに横におなりになった。燈籠を遠くに掛けて、近くに女房たちを伺候させなさって、話などをさせになる。
「このように無理な恋に胸がいっぱいになる癖が、まだ残っていたことよ」と、自分自身ながら思いお知りになる。
「これはまことに相応しくないことだ。恐ろしく罪深いという点ではこれ以上であっただろうが、昔の好色は思慮の浅いころの過ちであったから、仏や神もお許しになったことだろう」と、心をお鎮めになるにつけても、

「やはり、この恋の道は、危なげなく過ごす思慮深さが増してきたものだ」と自分でよくお分かりになる。
 女御は、秋の情趣をいかにも分かっているようにお答え申し上げたのも、悔しく恥ずかしいことと、独り心の中でくよくよなさって、五期分も優れないふうにさえなさっているのを、実にさっぱりと何くわぬ顔で、いつもよりも親らしく振る舞っていらっしゃる。
 女君に、
「女御が、秋に心を寄せていらっしゃるのもよく分かるし、あなたが春の曙に心を寄せていらっしゃるのももっともです。季節折々に咲く木や草の花を鑑賞しがてら、あなたのお気に入るような催し事などをしてみたいものだと、公私ともに忙しい身には相応しくないが、何とかして望みを遂げたいものと、ただ、あなたにとって寂しくないだろうかと思うのが、つらいのです」などと親密にお話申し上げなさる。


《ちょっと話の繋がり方が分かりにくく思われる節です。

大事に思う義理の娘から思いがけない冷たく厳しい対応を受けた源氏は、紫の上にいる西の対にやって来ます。

『評釈』が「斎宮の女御は源氏一門の代表者として後宮に入内しているので、一家の中ではもっともたいせつに扱われ、住まいも寝殿、主人格である。それに対して紫の上は、正夫人ではないので、西の対に住む」、そして「源氏もつねはここにいる」と言います。

源氏は、そこにやって来ても「女御との対面のあと、心がもどっていず、すぐ紫の上に会う自信がない」(同)ので、「すぐにもお入りにならず、たいそう物思いに耽って端近くに横におなりにな」り、女房たちにとりとめなく話をしながら、自分の心の整理をしています。

そして気を鎮めて紫の上に会ったという話になりそうなところですが、ここはそうではなくて、次の、女御に対して「いつもよりも親らしく振る舞っていらっしゃる」とか、女君に語りかけたりしたのは、後日のことと考えなくてはならないようです。

『評釈』が、その後、源氏は「対の屋(紫の上の居所)と寝殿(女御の居所)を行ったり来たりして、女御の世話をやく」と言っています。

その女君に話した内容もとびとびの話で、文がうまく繋がっていないように思われます。

初めは「あなたのお気に入るような催し事などをしてみたいものだ」という話で、その後の「何とかして望みを遂げたい」というのは、普通には「出家したい」という意味と思われますが、その繋がりがまったく唐突に感じられますし、その前の「催し事」の計画とも噛み合わないでしょう。あるいは「何とかして望みを遂げたい(原文・いかで思ふことしてしがな)」は、その「催し事」のことなのでしょうか。『評釈』と『谷崎』はやはり出家として解し、『集成』は「思いどおりの暮らしがしたい」と、どちらにも取れる傍訳を付けています。

その他にも気になることがいくつかあります。

まず、源氏が自分の年甲斐もない恋心を反省したこと(そんなことはかつて一度も無かったことです)です。ただしかし、それによって彼が新しい生き方を始めるわけではなく、一つの通過点に過ぎません。彼はこれから後、そういう「年甲斐もない恋心」に幾度か振り回される、いや、それを楽しむようになるのです。

二つ目。その流れの中の話として、女御は義父からの思いがけない振る舞いにショックを受けているのですが、源氏はそれを知ってか知らないでか、「実にさっぱりと何くわぬ顔で」世話をするのです。

 作者はそういう源氏の態度をよしとして書いているのでしょうか。私には、朧月夜尚侍との場を右大臣に見つけられた時(賢木の巻第七章第一段1節)の「臆面もな」い様子と同じように見えるのですが。

ともあれ、紫の上に「お気に入るような催し事」の計画を語って、後の少女の巻の伏線が張られたことになりました。》

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